また、マンデラ・エフェクトですね。
何事も時節到来、真理(ふじ)晴れるばかりの御代、とあるのです。
二二の仕組み、しきまきや、が、此の世を変えていく一番元の仕組でもありますが、その事によりまして、真理(ふじ)晴れるばかり、となっていくのです。もう、愈々、ですね。
この真理(ふじ)も様々な意味がありそうですが、今回はその内の一部を伝えていくと思います。
一方で、大引上げ、泥の海となる事も示唆してゐる一面もあり、人の我のままではその通りになる可能性大ですが、此の道を理解し、体験していく事で、回避できる事も判ってきている事を御伝えしています。
神様まつらずにするのが、我良し、天狗の鼻、と御伝えしていますが、まだまだ多くの方は、神様まつらず、我良し、天狗の鼻基軸です。
てん詞(・し)様よく(四九)なれば、皆よくなりますが、てん詞(し)様よくならんうちは、誰によらん、よくなりはしない。とありますが、まだまだ、我基軸の方が多いです。
殆どの方は、しきまきや、くにつつみ、を飛ばしてゐます。
新たな世界を生み出す事を忘れてゐます。
また、神がかりではなく、誠の神がかり、についても御伝えしています。
それは、神とかかっている事が、傍から見て判らない神かかり、です。
嬉しきビックリ、は、その方がしているようには見えませんが、その当人には判っています。
この千人力の境地、次から次へと、真理(ふじ)の仕組から生み出す事の重要性を伝えられています。
それは、素直になり、此の御神示(日月神示)通りの事をしていけばいいのですけどね。
それでは、何事も時節到来、真理(ふじ)晴れるばかりの御代についてお伝えしていきますね。
- 1.カゼの巻 第九帖 鼻に関する文面 何事も時節到来、真理(ふじ)晴れるばかりの御代です
- Ⅰ.人民の物、一つもありません。大引上げにならない内に捧げた人民、結構となります。
- Ⅱ.宮(闇の浄化)の後は、S(神の御心に沿わない心)、となり、ナルトとなります。地の言答(一八十)、人民 が開きます。
- Ⅲ.泥のウミになると、人民、思ふところまで一時は落ち込みますので、覚悟して下さい。
- Ⅳ.神の宝とは、土六のウミに、ナルト、です。タマがなくなってゐるのは、掃除、改心足りてゐない為です。
- Ⅴ.何事も時節到来しました。真理(ふじ)晴れるばかりの御代となってゐます。
- Ⅵ.神様まつらずにするのが、我良し、天狗の鼻です。
- Ⅶ.てん詞(・し)様よく(四九)なれば、皆よくなります。この位のことなぜにわからんのぢゃ、と伝えられています。
- Ⅷ.神がかりよく(四九)ないぞ、と伝えられています。迷ふ臣民出来る為です。
- Ⅸ.心の掃除すれば、それぞれに神懸ります。神かかりと判らない神かかりです。
- 2.まとめ
1.カゼの巻 第九帖 鼻に関する文面 何事も時節到来、真理(ふじ)晴れるばかりの御代です
Ⅰ.人民の物、一つもありません。大引上げにならない内に捧げた人民、結構となります。
●土地分け盗りばかりか、天まで分け盗って自分のものと、威張ってゐるが、人民の物一つもないのぢゃ。大引上げにならんうちに捧げた臣民 結構ぞ。
土地分け盗っているばかりか、天まで分け盗って自分のものと威張ってゐるが、人民の物一つもありません。
全て神様のものです。
ですが、御自身のもの、と思ってゐる間は、人の我基軸ですと、この後、大引き上げが起こります。
ですが、全てを神様に捧げますと、結構な事となります。
Ⅱ.宮(闇の浄化)の後は、S(神の御心に沿わない心)、となり、ナルトとなります。地の言答(一八十)、人民 が開きます。
●宮の跡は S となるぞ。ナルトとなるぞ。天の言答(一八十)は開いてあるぞ。地の言答(一八十)、人民 開かなならんぞ、人民の心次第で何時でも開けるのざぞ。
宮の跡は S となります。
S は 南、ですね。北以外の東西南北の事です。神の御心に向かってゐない心、という事です。
幽界の心。我良し、慢心、分け隔ての心ですね。
●霊界では光のさす方が北ぢゃ、その他の東西南北は皆南ぢゃ、北が元ぢゃ、北(基田)よくなるぞと申してあろうがな。
上記文面も、その他の東西南北、という言い方は無かったですね。以前は、それ以外は皆南、という伝え方だったと思ってゐます。随分と判りやすくなりました。
Sの意味が判りました・・・。ああ成るほど。ですね。(解釈の一つだと見てゐますが)
宮の跡はSとなるのは、常々、前の段階が悪となっていく為です。Sは、逆戻りの意味もありますね。
宮(三八)ですから、闇を浄化し、引っ繰り返す事ができているのですが、また闇(八三)となるのです。
ですから、Sの前後に、空白、があるのです。故に、無から無、悪を悪で無くす事で新たな世界を生み出す。
この事を次から次へと起こす事が、ナルト、の元となるのですね。
Sから、無、それは、相手の囚われた思念を変えていく事から、理解する事から生み出して行けば、ナルト、として、神のハタラキとして現れるのです。
・の言答(一八十)は開いています。三界和合から、八を十として下さい。
三回和合でも、一番間違いないのは、過去、現在、未来。の御自身です。
ですから、前世ヒーリング、です。常々、自分と自分と和する所から始まります。
続いて、地(九二)の言答(一八十)は、人民で開かななりません。
人民の心次第で、いつでも開けるのです。
ですが、多くの方々は、苦を苦で無くす行に、向き合う事から、逃げてしまいます。マコトの光る行をさしたら、逃げてばかりになるは、判りますが、入り口の、苦を苦で無くすための、御自身と向き合う事、逃げてしまう方、は、やはり、多いです。
この為、残念ながら、嬉しきビックリの道を放棄している方が殆どです。
Ⅲ.泥のウミになると、人民、思ふところまで一時は落ち込みますので、覚悟して下さい。
●泥の海になると、人民思ふところまで一時は落ち込むのぢゃぞ、覚悟はよいか。
泥の海になりますと、人民思ふところまで、一時は落ち込むのです。
81の世界になってからでは手遅れです。
そこで、(土六)の生み、土から生み出すマンデラ・エフェクトを起こして行く事がまず求められます。
泥(土六)の生み、カミヒト、を無から生み出す境地が始まりますと、つまり、七人に道を伝えていく行が始まりますと、その人、その人で思ふところまで一時は落ち込むのです。思念止まりで、済むのです。
ですが、思念界だけで留めて終わらせる事が、一番楽の道です。
土六のウミに、成る十、として下さい。
その覚悟はよいか。とありますが、残念ながら、その覚悟ができていない方が殆どです。
81の世界になってからでは、覚悟のしようが無くなります。
Ⅳ.神の宝とは、土六のウミに、ナルト、です。タマがなくなってゐるのは、掃除、改心足りてゐない為です。
●神国には神国の宝、神国の臣民の手で、元の所へ納めなならんのざ。タマなくなってゐると申してあらうがな。
神国には、神国の宝、神国の臣民の手で、元の所へ納めなならないようになってゐます。
神国の宝とは、土六のウミに、ナルト、です。
ですが、タマなっくなてゐるので、元に収める事ができません。
まずは、七人に道を伝えて下さい。その為には、囚われた心を治して行く、無くしていく行が求められます。早いのは、悪を悪で無くす、苦を苦で無くすです。しきまきや、くにつつみ、です。
土六のウミ、ナルト、を進めていけば、それは、掃除、改心を進めていけば、元のタマに近づいて行きます。
Ⅴ.何事も時節到来しました。真理(ふじ)晴れるばかりの御代となってゐます。
●何事も時節到来致してゐるのざぞ、真理(ふじ)晴れるばかりの御代となってゐるのぢゃぞ。
この文面も初めてですね。
何事も時節到来致してゐるのです。(2025年5月25日段階)
真理(ふじ)晴れるばかりの御代となってゐるのです。
しきまきや、から次々晴れる世が来るのですね。
真理とは、二二、であり、しきまきや、ですね。
真剣に求める事から始まります。
相手を意志し、理解する処からです。
苦を苦で無くす行ですが、そもそも囚われを無くしていく事も、広い意味では苦を無くしていく行です。
囚われを次々無くし、行に移し、此の世に御神示を移して下さい。
Ⅵ.神様まつらずにするのが、我良し、天狗の鼻です。
●人民 神に仕へて下さらんと神のまことの力出ないぞ、持ちつ持たれつと申してあらうがな、神まつらずに何事も出来んぞ、まつらいでするのが我よしぞ、天狗の鼻ざぞ。まつらいでは真暗ぞ、真暗の道で、道開けんぞ。
人民 神に仕へて下さらんと神様のまことの力は出ないようになってゐます。
持ちつ持たれつなのです。
神様、まつらずに、何事も出来ないのです。
神様、まつらずにする事が、我良しです。天狗の鼻なのです。
神様、まつらずにしますと、真暗であり、真暗の道では道開けないようになってゐます。
Ⅶ.てん詞(・し)様よく(四九)なれば、皆よくなります。この位のことなぜにわからんのぢゃ、と伝えられています。
●神は光ぞと申してあらうが、てん詞(し)様よくなれば、皆よくなるのざぞ。てん詞(し)様よくならんうちは、誰によらん、よくなりはせんぞ、この位のことなぜにわからんのぢゃ、よくなったと見えたら、それは悪の守護となったのぢゃ。
神様は、光なのです。
てん詞(・し)様よく(四九)なれば、皆よくなるのです。
・、をしきまきや、によって、四の行、九の行から成れば、皆よくなるのです。
一方、てん詞(し)様よく(四九)(慾)ならんうちは、誰によらん、よくなり善くなりはしないのです。
この辺りは、四の行、九の行を数こなし、嬉しきビックリを体験する境地になりますと判ってきますが、この位のことなぜにわからんのぢゃ、と伝えられています。
神まつらず、てんし様よくならずに、よくなったと見えましたら、それは悪の守護となってゐます。
悪が良いと感ずるのは、囚われ、前の段階が良いと感ずる事となっているのです。
前の段階、囚われの世界を選択している事になります。そして、前の段階へと戻されているのです。
それは、御自身で選択している事になります。
Ⅷ.神がかりよく(四九)ないぞ、と伝えられています。迷ふ臣民出来る為です。
●神がかりよくないぞ、やめて下されよ、迷ふ臣民出来るぞ。程々にせよと申してあらうが。
神がかりでも、人の我、基軸のものが殆どです。
それはやめて下されよ。とあります。
それは、迷ふ臣民出来る為です。実際にも、そちらの方が多いです。
程々にせよ、と申してありますが、それでも、我、基軸ですと、囚われ神がかりから苦しむ方沢山出て来ます。
神かかりていると判る神がかり、はやめてください。
実際に、人の我基軸の神がかりは、四の行、九の行を伴っていない、という事もあります。
そこには、相手のキの理解を伴っていません。
Ⅸ.心の掃除すれば、それぞれに神懸ります。神かかりと判らない神かかりです。
●皆々心の鏡掃除すれば、それぞれに神かかるのぢゃ。肉体心で知る事は皆粕(カス)ばかり、迷ひの種ばかりぢゃぞ、この道理判りたであらうがな、くどう申さすでないぞ。
心の鏡、掃除しますと、それぞれに神かかるのです。
まことの神かかりは、傍から見て、神かかっていると判らない神かかりです。
それは、嬉しきビックリ、で現れます。
周囲から見ますと、その人が起こしてゐるかどうかも、判らない、そのような事も沢山あります。
ですが、当の本人にしかそれが判りません。
霊媒的な事例であれば、好転的世界は、予知した世界より、もう一段、二段上のシナリオがやって来ます。
ですが、人の我基軸ですと、その予知した世界は、実現しない、スケールダウンする。最悪、悪化する事がよくあります。これが、結構判りやすいですね。
肉体心で知る事は、皆カスばかり、です。
迷ひの種ばかりです。
肉体心とは、人の我、基軸の心、とも言えますね。
この道理判りたであらうがな、とくどう(九土ウ)申されています。
2.まとめ
土地分け盗りばかりか、天まで分け盗って自分のものと威張ってゐる人民沢山いますが、人民の物、一つもありません。
大引上げにならない内に捧げた人民、結構となります。
宮(闇の浄化)の後は、S(神の御心に沿わない心)、となり、逆戻り、そこから、また、ナルトとなります。
天の言答(一八十)は既に開いていますが、地の言答(一八十)、は人民 開かなならん、ようになってゐます。
ですが、人民の心次第で何時でも開けます。
泥のウミになると、人民、思ふところまで一時は落ち込みますので、覚悟して下さい。
土六のウミに、成る十、として下さい。その覚悟して下さい。
81の世界になってからでは、覚悟のしようが無くなります。
神の宝とは、土六のウミに、ナルト、です。
神国には、神国の宝、神国の臣民の手で、元の所へ納めなならないようになってゐます。
タマがなくなってゐるのですが、それは、掃除、改心足りてゐない為です。
何事も時節到来しました。真理(ふじ)晴れるばかりの御代となってゐます。
しきまきや、から次々晴れる世が来ます。
神様まつらずにするのが、我良し、天狗の鼻です。
神様、まつらずにしますと、真暗であり、真暗の道では道開けないようになってゐます。
てん詞(・し)様よく(四九)なれば、皆よくなります。
・、をしきまきや、によって、四の行、九の行から成れば、皆よくなるのです。
一方で、てん詞(し)様よく(四九)(慾)ならんうちは、誰によらん、善くなりはしないのです。
この位のことなぜにわからんのぢゃ、と伝えられています。
神がかりよく(四九)ないぞ、と伝えられています。迷ふ臣民出来る為です。
神かかりていると判る神がかり、はやめてください。
実際に、人の我基軸の神がかりは、四の行、九の行を伴っていない、という事もあります。
そこには、相手のキの理解を伴っていません。
心の掃除すれば、それぞれに神懸ります。神かかりと判らない神かかりです。
まことの神かかりは、傍から見て、神かかっていると判らない神かかりです。
それは、嬉しきビックリ、で現れます。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。