楽に命懸けになってください➄ まず、めあてのキ、⦿の・を求めて下さい

日月神示、道の生み出し方について

楽に命懸けになってください➄は、まず、めあてのキ、⦿の・を求めて下さい。です。

神様のハタラキは、順が正されてませんと現れませんので、まず、大神様の御心、⦿の・、を求めるのが最初です。

その上で、あらゆるモノ、事象を求めていく、という順です。

中々、こういった順で進める人はいません。
人の我、基軸、平面基軸の方が殆どです。

大神様の・、の理解が大切です。

今回は、⦿の・を求めていくお話をお伝えしていきます。

1.キ⦿の・を求めませんと、此(九)の世(四)の行しませんと、我の改心、できませんと、草木より成り下がります

Ⅰ.まず、めあて、の、キ、⦿の・を求めて下さい

キが到ればモノが到る。モノを求める前にキを求めよ。めあてなしに歩いたとて、くたびれもうけばかり。人生のめあて、行く先の見当つけずに、その日暮しの、われよしの世となり下がってゐるぞ。めあては⦿の・でないか。・に向かないでウロウロ。草木より、なり下がってゐるでないか。為すとはイノること。人の為にイノるは、己の為にイノること。今の人民、イノり足らん。

神様のハタラキは、順が正されていませんと現れません。

キが至って、モノが至る順です。

ですから、まず、モノを求める前にキを求めて下さい。
めあてなしに歩いても。くたびれもうけ、となってしまいます。

実は、まず、このキの、めあて、がそもそも無いから苦しむ方多いです。
そして、人の我、囚われからですと、有限と留まる世界のものを求めてゐるから、苦しみます。

めあては⦿の・です。
・に向かないでウロウロされている方が殆どです。

モノを求める前には、永劫の観点の・をまず、最初に、そのキ、を求めて下さい。
それを御自身の心の内に入れる事が最初です。

ですから、永劫性の・を求めてないが故に、その日暮らしの、われよしの世と成り下がっている、とお伝えされています。

その状況とは、草木よりなり下ってゐる、とお伝えされています。

為すとは、イノる事。です。
イノるとは行じる事。
その次は省みる事。です。
この二つを日々継続していき、その上でイノります。

まず、行をしていない方、多いです。
また、行じても省みない方も多いです。
ですから、イノリできていない方が多いです。

人の為にイノることとは、己の為にイノる事になります。
ですから、イノるとは、永劫の観点から、人を助ける、救ふ、事にあります。

今の人民はイノり足らん、というのは、永劫の観点で・を求めていないからです。

まず、最初に、⦿の・をめあてに、モノを求めて下さい。
ですが、この世のあらゆるモノは、全て、存在に意味、意義がありますので、それで、順が大切とお伝えされています。

Ⅱ.此(九)の世(四)の行しませんと、生れた時より悪くなり、草木に成り下がります

この世に生れてはこの世の御用、この世の行せねばならん道理。この世に生れて、この世の行せねば、生れた時より悪くなるぞ。草木より役に立たんものとなるぞ。草木に変へると申してあらう。神が変へるのでない。自分でなり下がるのであるぞ。判りたか。

この世に生まれては、こ(九)の世(四)の御用、こ(九)の世(四)の行せねばならないようになっています。
それが、道理(土ウ理)です。カミヒトを産み出す道、五三体の大神様を産み出す道、です。

ですから、今の平面世界を、平面世界から、立体に進めていく事が求められています。
それは、・、を求めていく事にあります。
それは、思念界を変えていく事から可能です。
これが、この世の行です。

こ(九)の世(四)の行をしませんと、生まれ時より悪くなります。
これは、判りますよね。
くにつつみ、しきまきや、を飛ばすという事は、人の我、を基軸としていく、という事です。

広い意味では、人の我の学びも許されていますが、どうしても、11の囚われの世界。更には、6つの慢心の世界へと移行していきます。

それは、草木より役に立たない、のです。
囚われ基軸ですと、弥栄実践、祓実践、まつり実践、基軸で中々進めません。気が付いたら、我良し、慢心、の道です。

一方で、草木は、素直で、囚われなく、心・口・行、一致し、弥栄実践は日々していますし、まつり実践も中々、なのです。

その草木より役に立たない、草木に変へる(六七、経る)とあります。
草木の存在へと、無、もう一段上の無、と経るようになりますし、何度も、⦿の・を学ぶ流れとなります。

このようにして、人、草木、人、草木、・・・と何度も輪廻転生しているのですが、それは、神様が変へるのではなく、御自身で成り下がっている、のが実際の所、なのです。

Ⅲ.我を変えていく改心が求められます

我(が)はぢっと奥に鎮めて表面(うわべ)には気(け)も出されんぞ、我の無い様な事では、我で失敗(しくじ)た此の方の御用出来ないのざぞ、毒にも薬にもならん人民 草木にかへしてしまふぞ。

我(が)は、ぢっと奥に鎮めて表面(うわべ)には気(け)も出されません。

ですが、御自身の我(が)の恐ろしさ、の理解は大切です。
そして、その恐ろしさを理解した上で変えていく事が求められます。

この改心を進めた我、を御自身の我、としていく事が大切です。

この、御自身の、我(が)の囚われの恐ろしさ。
11の囚われ、6つの慢心と共にですと、更に、人は苦には弱い一面もあるので、どのような事もしてしまう御自身。獣(ケダモノ)の御自身を自覚していく事となります。最後は共喰いになる御自身も判ってきます。

この事を理解した上で、この我、を助け、また、皆を助けていく。
そうでない事には、我で失敗した此の方の御用ができないのです。

ですから、あらゆる悪への理解。苦への理解がまず大切で、
その上で、悪をどのようにすれば、無くせるのか。
苦をどのようにすれば、無くせるのか。

これらを伝えていく行、実践していき、人を助けていきます。

このようにして、御自身の我が、心・口・行、一致させ、神様の・を心に入れていく事が求められるのです。

(土九)にも薬(九四理)にもならん人民 草木にかへしてしまふぞ。
とありますが、カミヒト共に九の行ができてなかったり、くにつつみ、しきまきや、から道を生み出せない人民は、どうしても、草木にかへしてしまふぞ。となります。

ここで注意しないとならないのは、草木にかへしてしまふ、という事です。
返してしまう、という事でもあるのです。
ある意味、昔の姿でもあったのです。人から草木に成り下がる、です。

人の段階での出直しは、まだ間に合いますが、草木にかへしてしまふと、その時では手遅れである事はご理解下さい。

ですから、一刻も早く、此(九)の道に進む事が求められるのです。

2.新たな世界を生み出す文面について

今回は、更に、新たな世界を生み出す文面をお伝えしていきます。

Ⅰ.甲斐ある苦労にするには、しきまきや、三が道を生み出し続けて下さい、千人力と共に進みます

神の経綸(しぐみ)には狂ひ無いなれど、臣民 愈々苦しまなならんのざぞ、泥海に臣民のたうち廻らなならんのざぞ、神も泥海にのたうつのざぞ、甲斐ある御苦労なら幾らでも苦労甲斐あるなれど、泥海のたうちは臣民には堪(こば)られんから早う掃除して神の申す事真すぐに肚に入れて呉れよ。

神様の経綸(しぐみ)には、狂ひありませんが、臣民 愈々苦しまななりません。
臣民とは、しんみん、しきまきや、から三が道を生み出せる存在という解釈ができる一方で、しきまきや、三が道を起こさない存在という解釈もできます。
「ん」を、「生み出す」、とするか、「×0」、とするかは、御自身次第です。
そして、多くの方は、囚われから×0を選択しています。

×0の方ですと、泥海に臣民のたうち廻り、神様ものたうちますが、生み出すですと、のたうち(の十ウ千)廻り、千人力を起こし続けていくようになります。神様も同様です。

ですから、甲斐(六七、二二)ある御苦労(五九六ウ)をして下さい。という事です。

泥海のたうち、が仮に起こっても、千人力であれば、乗り越えられますが、臣民でも、しきまきや、三が道が、×0ですと、泥海のたうち、で堪えられない、と伝えられています。

ですから、早う(八四ウ)掃除して、神様の申す事(九十)、真すぐ(真四九)にはら(八〇)に入れて呉れよ(九〇四)と仰っているのです。

この文面は、しきまきや、三が道を×0、抜きにしますと、恐ろしい文面、81の世界直行を意味しますが、日々、しきまきや、三が道を生み出す行をしていきますと、神の経綸(しぐみ)が判り、任しきれるようになっていきます。

Ⅱ.臣民 逃げて眼塞いで、懐手してゐるから苦しみます

先の取越苦労は要らんぞ、心くばりは要るぞと申してあろがな。神が道つけて楽にゆける様に嬉し嬉しでどんな戦も切抜ける様にしてあるのに、臣民 逃げて眼塞いで、懐手してゐるから苦しむのぞ。我れよしと云ふ悪魔と学が邪魔してゐる事にまだ気付かぬか。嬉し嬉しで暮らせるのざぞ。

先の取越し苦労は要りません。
(九九六)くばりは要るのですが、それは、くにつつみ、の二二の仕組みを無から生み出す、その心を配る事にあります。

すると、此の道進む程に、先は、嬉しきビックリが普通となっていきます。

嬉しきビックリとは、神様が、道(三千)つけて、楽にゆける様に、それも、うれしうれしでどんな戦(一九三)も切り抜ける様にしてるのです。

ですが、臣民は、逃げて眼塞いで、懐手してゐるから苦しみます。

それは、11の囚われにあり、更に、その原因は、我れよし、にあります。
その悪魔と学が邪魔してゐる事にまだ気付かぬのか。
と、気付く事を心待ちにされています。

嬉し嬉し(ウ〇四ウ〇四)で暮せるのです。
しきまきや、から、次々生みだし続けて、日々、結構より善き、無理なく弥栄、最後は、嬉しきビックリへと進むようになっています。

Ⅲ.「我」、が、「吾」に変わっている意味について

吾が苦労して人救ふ心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は吾の苦労で人助けねばならんのざ。

吾が苦労(九六ウ)して、人救ふ(四九ウ)心でないと、今度の岩戸は開けないのです。

吾、とは、「あれ」「われ」どちらにも読めます。
以前は、「我」、という文面が殆どでしたが、最近は、「吾」が増えて来てゐます。
「あれ」は、「一一、〇」永劫の過去、から生み出して下さい。という意味が強いですね。

そこから助けないと、今度の岩戸は開けないのです。「われ」からでけではできません。

自ら、永劫の過去から、くにつつみ、無から、産み出し、しきまきや、くにつつみ、から人を救う心でないと今度の岩戸は開けないのです。

岩戸開きの御用する身魂は、吾の苦労で人助けねばならないのです。

御自身の苦労、もありますが、永劫の過去から生み出す、くにつつみ、で人助けねばならない、とも云えるのです。

Ⅳ.表に出て居る神々様との和合を進めて下さい。人以外から、草木、キンからでも大丈夫です

表に出て居る神々様に和合して貰ふて世の建替にかかりて下されよ、苦労なしには何事も成就せんぞ、苦を楽しめよ。

表に出て居る神々様に、和合して貰ふて、世(四)の建替にかかりて下されよ(三〇四)と仰っています。

(三〇四)三が道、しきまきや、を次々起こして下さい。と伝えられています。

表に出て居る神々様は、三次元世界の神々様です。

人が、本質的に一番重要な和合相手ですが、伝わりにくいのであれば、動物、鳥、魚、虫、草木、更には、水、大気、菌。どこからでもいいです。

個人的には、草木以下、の方々の方が、伝わりやすいと見てゐます。
今、は、キン、が熱いと思っています。(笑)(2025年2月現在)

金の世すみて、キンの世来るぞ。三年目、五年目、七年目ぢゃ、心得なされよ。

キンの世(四)ですので、菌から、和合して、しきまきや、を起こし、世の建替が、早いでしょう。

苦労なしには、何事も成就しませんが、苦の行を楽しむのは、中々ですが、
九の行ですと、面白いですし、楽しい事も結構にあります。

Ⅴ.借銭なくなる迄は苦しみますが、借銭にも段階があります

いくら信仰しても借銭なくなる迄は苦しまねばならん。途中でへこたれんやうに、生命がけで信仰せねば借銭なし六ヶ敷いぞ。途中で変る紫陽花(アジサイ)では、御用六ヶ敷いぞ。

借銭なくなる迄は苦しまねばならん。
という意味も大分解ってきました。

今現在、お金の世ですが、そのお金も嬉しき存在に変わってきますと、嬉しき存在にして頂けたのは、此(九)の神々様のお陰、という事があったのです。

此(九)の神様への借りを無くす迄、その借銭なくなる迄は苦しまねばならないようです。
その借りが終えたら、同じ銭でも、違った存在に成っている可能性があります。

ですから、お金はまず、嬉しき存在へと変えて下さい。
お金の使い方、収入のエネルギーの在り方がまず第一で、これがカイの御用。
その次に、此の神々様への借りを返して下さい。

ですから、途中でへこたれんやうに、生命がけで、信仰せねば、借銭なし、難しいのです。
と言っても、此の神様、大神様が、助けて下さるのですから、千人力を授けて下さりますので、楽に無理なくいけるようになっています。

そして、嬉しき弥栄、を一段一段実現して頂けます。

途中で変わるアジサイでは、御用難しいのは、こういった事があります。

3.まとめ

まずは、めあて、の、キ、⦿の・を求める所から始まりです。
神様のハタラキは順が正されていませんと現れません。
その順は、まず、キ、のめあてをしっかりさせておく所から始まります。

しきまきや、くにつつみ、を次々起こし、三が道から新たな世界を起こして下さい。

イノりとは、人の為、御自身の為、行じ、御自身の我を省みる事から始まります。

この世の行とは、此(九)の世(四)の行ですので、くにつつみ、しきまきや、を起こしませんと、人の我基軸ですので、生れた時より悪くなるのは、判ると思います。

草木より役に立たなくなり、自ら、草木に成り下がる流れとなります。

ですが、この我、で苦しんできた事の理解が大切です。
11の囚われ、6つの慢心によって、皆、臣民は、如何に平面世界、有限世界で苦しんできた事。
それが故に、最後は、草木に成り下がった事、この理解の上で、しきまきや、くにつつみ、を進めていきます。

甲斐ある苦労とは、しきまきや、三が道と共に進みますので、更には、千人力と共にとなっていきますので、泥海のたうち、も千人力で超えられます。

ですが、逃げて眼塞いで、懐手してゐる間は、われよしという悪魔、学が、邪魔して苦しみ続けるのです。

「我」、が、「吾」に変わっている理由、は「あ」永劫の過去から生み出し続けていく世へと変わってきている為です。

表に出て居る神々様との和合を進めて下さい。人以外から、草木、キンからでも大丈夫です。人以外ですと、草木以下がお勧めで、特に、キン、がお勧めです。

借銭なくなる迄は苦しみますが、最後は、この神々様によって、作って頂いたお金も、その借を返すまでは、苦しみますので、大神様、神々様から助けて頂いた借りを早く返して下さい。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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