今回から、くにつつみ、についてお伝えします。
くにつつみ、は、九二つつみです。
くに、九二、に関する文面である程度判ってきますが、結構重い文面が多いですし、覚悟も求められます。
ですが、くにつつみ、がありませんと、大峠を超える事はないようです。
今回、くにつつみ、初回は、「苦に」、に関する文面を御伝えしますが、苦を楽としていく文面が多く、その為には、苦の理解、が求められます。
今回は、苦に、に関する文面を御伝えします。
1.くにつつみ 「苦に」 に関する文面について
Ⅰ.殆どの臣民は九二負けているが為に、一寸先さへ判らない程曇っていますが、神の九二の臣民は助かる流れになります
●親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。鼠でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。
親と子であるから、臣民は可愛いので、旅(十火)の苦(九)をさしてあるのに、苦に(九二)負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな、と御伝えされています。
囚われの世となり、我良し、慢心の世となったのです。
それは、九の二二の仕組み、くにつつみを忘れている為です。
その結果、ネズミでも三日先のこと知るのに、臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、
と伝えられています。
ですが、よう(四ウ)くもり(九母理)なされたな(七三〇十七)。であっても、
しきまきや、から生み出し、苦の元の理に進みましたら、もう一段上の無、から三が道より、神々様を生み出す事となります。
それでも神の国(九二)の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ、と伝えられています。それは、ほんのしばらくで済みます。
ですが、神の九二の臣民でないと、その境地には進めません。
ですから、苦を苦で無くす行、くにつつみ、が一刻も早く求められます。
Ⅱ.苦労(九六ウ)いたさねば誠(〇九十)は分かりません。不思議なくなりたら、ミロクの国となります
●苦労いたさねば誠分らんなり、人民と云ふ者は苦に弱いから、中々におかげのやり様ないぞよ、欲出すから、心曇るから、我よしになるから中々に改心出来んなり、六ヶ敷いぞよ。慾さっぱり捨てて下されよ、慾出ると判らなくなるぞ。大地の神の声 誰も知るまいがな、だまって静かにまつりて清めて、育ててゐるのざぞ、何もかも大地にかへるのざぞ、親のふところに返るのざぞ。次々に不思議出て来るぞ、不思議なくなりたら神の国、ミロクの国となるのぢゃ。
苦労(九六ウ)いたさねば誠(〇九十)は分からないようになっています。
それは、苦労せよ、というのではなく、苦を苦で無くしていく事を生み出す事です。
いらぬ苦は、要らないのです。戒律も最終的には要りません。
人民と言ふ者は苦に(九二)弱いから、中々、おかげのやり様(八理四ウ)がないのです。
ですが、苦に弱い為に、苦を苦で無くす事をしていないが為に、最も苦しむ道を御自身で選択する方がとても多いのです。
苦を苦で無くしていく事、には、苦の理解や、向き合っていく事が求められるのですが、その、九二つつみ、を飛ばしているから、神様の道(八理)も生まれませんし、しきまきやから生み出す事(四ウ)もできません。
欲(四九)出すから、それは、平面の四九であり、心曇るから、我よしになるから、中々に改心できないのです。
六ヶ敷い(六、四、意)ぞよ。と伝えられています。それは、無、から、しきまきや、を意識して下さい。ということです。
慾さっぱり捨てて下されよ。と伝えられています。
雲った神々様を、九の道から、三が道から、しきまきや、を通じ生み出して下さい。
と御伝えされています。
それができずに、慾出ると判らなくなるのですが、慾で進む方、やっぱり多いです。
そして、有限の苦の道を選択する方が多いのです。
それ程、11の囚われ、6つの慢心は簡単に解決できません。大多数の価値観が正しい、と思い込み、囚われている事に気付いてない方も多いですし、慢心している事にも気付けていない方、が殆どです。
大地の神様の声(九エ) 誰も知るまいがな、と伝えられています。
大地の神様、どんなに苦しまれているか、大地の汚染、その声、苦の声知らない、と伝えられています。
この後の文面はマンデラ・エフェクト文面と見てゐますが、
だまって静かにまつりて清(キ四)めて、育ててゐるのです。
何もかも、大地に(大千二)かへるのざぞ、親(⦿)のふところ(二十九六)、にかへるのざぞ。と伝えられます。
千人力、二二の仕組みを次々拡大していき、元の神様(⦿)のふところ、九の行から無から生み出し、かへ(六七、経)り(理)て下さい。無から、もう一段上の無から、理(みち)を次々、生み出して下さい。
このようにしますと、次々に不思議が出てきます。
それが、マンデラ・エフェクト、です。
ですが、それは当初だけで、それが当たり前になってきます。日々の行を継続し続けていくからです。
その不思議がなく(七九)なりたら、神の国、ミロクの国(九二)となります。
Ⅲ.苦と楽 共にみてよ(三て四)と申されています。偶然の真理 早う(八四ウ)さとり(三十理)てください
●弥栄と云ふことは歩み一歩づつ喜び増して行くことぞ。喜びの裏の苦に捉はれるから判らんことに苦しむのぢゃ。苦と楽 共に見てよと申してあらう。偶然の真理、早う悟れよ。
弥栄と云ふこと(九十)は、歩み、一歩づつ喜び増して行くこと(九十)です。
苦を苦で無くす行を、一段一段進めていく以外ないのです。
喜びの裏の九に、囚われるから、判らんことに苦しみます。
実は、多くの方が求めてしまっているのは、喜びの裏の九、です。
それは、有限、平面に留まってしまう、囚われ、になるのです。
それらが、満たされる程に、それが強まります。
ですから、苦を苦で無くす事から、思念界を変えていく事で、平面世界が立体に進み始めるのです。
苦(九)と楽(〇九) 共に見てよ、と申されています。
苦を苦で無くすとは、裏の九だったものから、理解し、思念を変えていき、新たな世界を生み出す事で、永劫の喜びの九、弥栄の九、としていく事にあります。
偶然の真理、早う(八四ウ)悟れよ(三十〇四)と伝えられています。
無限に、しきまきや、から生み出し続けていく事から、三が道、神々様、から、新たな世を生み出して下さい。と御伝えされています。この事で偶然の真理、が判ってきます。
Ⅳ.苦を楽しむより、楽をたのしむ(十の四六)こころ、が高いです
●そなたはいつも深刻な顔をして考へ込んでゐるが、考へ方にも幾通りも御座るぞ。考へは迷ひと申してあるのは、そなたのような場合ぞ。そなたは苦に向ひ苦にかったつもりで、苦を楽しんで御座るが、苦は曲ることぞと知らしてあろうが。苦をつくり出してはならんぞ。苦を楽しむより、楽をたのしむ心高いぞと知らしてあろう。苦しむと曲り、楽しむとのびるぞ。
深刻な顔をして考へ込んでゐますが、考へ方にも幾通りもあります。
考へは迷ひと申してあるのは、苦に向ひ苦にかったつもりで、苦を楽しんでいますが、苦は曲がることです。
苦をつくり出してはなりません。
ですが、11の囚われ、6つの慢心を選択し、苦を作り出している方がやはり多いのです。
苦を楽しむより、楽(〇九)をたのしむ(十の四無)(十の四六)心が高いのです。
楽とは、苦を理解し、苦を無くしていく事にあります。
それは、神様をしきまきや、から無から生み出すことですし、神様のしきまきやの愛を理解する心が高い、のです。
苦しむと曲がりますし、楽しむと伸びます。
2.まとめ
殆どの臣民は九二負けているが為に、一寸先さへ判らない程に、曇っているのですが、神の九二の臣民は助かる流れになります。
苦労(九六ウ)いたさねば誠(〇九十)は分かりません。苦を苦で無くす行から、無から生みだしていく事です。
その為には、苦の理解は必要ですが、臣民は苦に(九二)弱いから、理解しようとするのを避ける傾向があり、中々におかげのやり様(八理四ウ)がないのです。
欲出すから、心曇るから、我よしになるから、そちらに囚われ、中々に改心が難しいのですが、
ですが、苦を苦でなくす、くにつつみ、しきまきや、から、世界を生み出せるようになります。
何もかも、大地に(大千二)かへ、千人力から、元の大神様にかへりて下さい。
此の事ができますと、不思議が次々と起こりますが、それがマンデラ・エフェクトです。
その不思議が無くなってきましたら、ミロクの世となります。
その為には、日々の行の継続が大切です。
弥栄とは、日々、喜びが増えていく状況ですが、喜びの裏の苦に囚われるから、判らんことに苦しみます。
苦を苦で無くす事で、楽としていく事で、平面世界は立体に進み始めます。
偶然の真理、早う悟れよ、とありますが、無限にしきまきや、を起こし、三が道から、神様を次々生み出して行く世としていく事で判ってきます。
楽とは、苦を理解し、苦を無くしていく事にあります。
苦をつくり出してはなりません。
苦を楽しむより、楽(〇九)をたのしむ(十の四無)(十の四六)心が高いのです。
ですから、しきまきや、から、無から、次々新たな世界を生み出して下さい。
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