なく(七九)に関する文面④ 神は言波(九十七三)です。言波程、結構で恐いものありません

日月神示、道の生み出し方について

なく(七九)に関する文面④です。

言波は、マンデラ・エフェクト、比較的初期の頃からあったようにあります。
ですが、その後、その詳細について、またマンデラ・エフェクト起こしてゐます。

言波(九十七三)とは、九十の波であり、神でもあり、まこと(〇九十)でもあり、いぶき、道、でもあると伝えられています。

その他に、なく(七九)に関する文面を二つ程、今回は御伝えしていきます。

1.地(九二)つ巻 第三十四帖  神は言波(九十七三)です。

神は言波ぞ、言波とはまことぞ、いぶきぞ、道ぞ、まこととはまつり合はした息吹ぞ、言葉で天地にごるぞ、言波で天地澄むぞ、戦なくなるぞ、神国になるぞ、言波ほど結構な恐いものないぞ。

言波(九十七三)も後から生まれてきた言葉と見ます。

言波は、九の行から、神様を、もう一段上の無、三が道として産み出して下さい。
という事です。
また、九十(コト)が波のようにやって来る、という事もありそうです。

ですから、神様は言波(九十七三)、です。
言波とはまこと(〇九十)です。
いぶきであり、道、でもあります。

まこと(〇九十)とは、まつり合わした息吹の事です。

そして、この後の文面は、マンデラ・エフェクトと見ます。

言葉で天地にごり、言波で天地澄むのです。
これは以前には無かった文面です。

実際、言葉に出す方が、天地にごるかもしれません。
ですが、言波(九十七三)で天地澄むのです。
言波は、言葉の波もありますが、どちらかと言えば、九十の波と見ます。

九十の波とは、七三でもあるのです。
もう一段上の無を、三が道で無くするのです。
このようにして、戦はなくなります。

一九三は、七九成ります。
ここでも、九の三が道、から、もう一段上の無、九と成るのです。

この流れで、神国(十九二)になります。

言波ほど結構なものありませんが、恐いものありません。

2.日月の巻 第二十四帖 御用の仕方について。自分なくならねば、成らんようになっています。

Ⅰ.太陽(ひ)あるうちは、ことごとに太陽の御用を、月あるうちは、ことごとに月の御用をして下さい。

コトの初め気付けて呉れよ。夜明けたら生命(いのち)神に頂いたと申してあろがな。太陽(ひ)あるうちはことごとに太陽の御用せよ。月あるうちはことごとに月の神の御用せよ。それがまことの臣民ぞ。

コトの初め気付けて呉れよ。(九〇四)とあります。
夜明けたら生命(いのち)神様に頂いた、と申してあろがな、とあります。

太陽(ひ)あるうちは、ことごとに太陽の御用をして下さい。
これが、一(ひ)の御用です。

月あるうちはことごとに付きの神の御用をして下さい。
これが、二(つき)の御用です。

それが、まことの臣民と申されています。

Ⅱ.自分なく(七九)ならねば、成らないようになっています。カミヒト一つになってください。

生活心配するでないぞ。ことわけて申せば今の臣民すぐは出来ぬであろが。初めは六分国のため、四分自分の為、次は七分国のため、三分自分の為、次は八分国の為、二分自分のため、と云ふ様にして呉れよ。これはまだ自分あるのざぞ。自分なくならねばならぬのざぞ。神人一つになるのざぞ。

生活は心配しなくて大丈夫です。
ことわけて申せば、今の臣民、すぐは出来ない、と伝えられています。

初めは六分国のため、四分自分の為、次は七分国のため、三分自分の為、次は八分国の為、二分自分のため、
と云ふ様にして呉れよ。(九〇四)とあります。

国は、日本の国といった訳ではなく、九二の為、九の二二の仕組みの為、の方が解釈としては、自然と見ます。
このように進めて下さい。

ですが、まだ、これは御自身があります。

御自身が無く(七九)なる境地まで進まない事には、成らないのです。

それは、カミヒト一つになることでもあります。

3.磐戸(一八十)の巻 第六帖 北、南、たから出す時近づいてきています。西、東のたからも分かってきます。

Ⅰ.北、南、たから出す時近づいています。これから愈々臣民にはわからなくなれど、仕上げてみてください。

北、南、たから出す時近づいたぞ、世の元からの仕組であるからめったに間違ひないぞ、これから愈々臣民にはわからなくなれど仕上げ見て下されよ、

北、南、たから出す時近づいています。
世の元からの仕組みですから、めったに間違ひありません。

北、南ですから、霊的方位を言っていると見ます。中央、キの集まる中心、光のさす方が北、それ以外が南です。

ですが、北、光のさす方への動き、それ以外の南と、たから出す時は近づいてゐるようです。
これをできる所から進めてください。

これから愈々臣民にはわからなくなりますが、仕上げて見て下されよ、と御伝えされています。

Ⅱ.御神示出なくなりましたら、口で知らします。御神示、早う腹に入れぬと間に合はんことになりてきます。

何事も神の申すこと聞いて すなほになるのが一等ざぞ、神示(ふで)出ぬ時近ふなりたぞ、神示出なくなりたら口で知らすぞ、神示早う腹に入れぬと間に合はんことになりてくるぞ、

何事も神様の申すこと聞いて すなほになるのが一番です。
御神示(ふで)出ぬ時近ふなりています。

御神示出なくなりましたら、口で知らします。

御神示、早う腹に入れぬと間に合はんことになりてきます。

Ⅲ.西も東もみな宝です。此の宝は、あっぱれ、此の世の大洗濯の宝となります。

西も東もみな宝あるぞ、北の宝はシホミツざぞ、南の宝はシホヒルざぞ、東西の宝も今にわかりてくるぞ、此の宝あっぱれ、この世の大洗濯の宝であるぞ。

西も東もみな宝あります。

これは、ここまでの文面から、南として伝えている可能性が高そうです。

北の宝は、シホミツですし、南の宝はシホヒル、です。
単純には、潮満つ、潮干る、ですね。

確かに、北の宝は、満ちてくるのは分かりますし、南の宝は、干る流れになるのも分かります。

東西の宝も今にわかりてきます。東西は、この三次元しかない方位ですが、干る流れでしょうか。
やがて、東西も分かってくる、とあります。

此(九)の宝、あっぱれ、此の世の大洗濯の宝となるのです。
シホミツ、シホヒル、から、どうなるのでしょうか。様々な可能性がありそうです。

ですが、九の行、九の道から生み出し、此の世の大洗濯の宝となるのです。
広くは、言波が、宝、とも言えそうです。

4.まとめ

神様は言波(九十七三)、です。
言波とはまこと(〇九十)です。
いぶきであり、道、でもあります。

言葉で天地にごり、言波で天地澄むのです。
このようにして、戦はなくなります。

九十(コト)が波のようにやって来る、状況が言波です。

太陽(ひ)あるうちは、ことごとに太陽の御用を、月あるうちは、ことごとに月の御用をして下さい。
それが、まことの臣民と申されています。

初めは六分国のため、四分自分の為、七分、三分。八分、二分。と云ふ様にして下さい。
ですが、最後は、自分なく(七九)ならねば、成らないようになっています。カミヒト一つになってください。

北、南、たから出す時近づいています。
中央、キの集まる中心、光のさす方が北、それ以外が南です。
これから愈々臣民にはわからなくなれど、仕上げてみてください。

御神示出なくなりましたら、口で知らします。御神示、早う腹に入れぬと間に合はんことになりてきます。
御神示(ふで)出ぬ時近ふなりています。
何事も神様の申すこと聞いて すなほになるのが一番です。

西も東もみな宝です。此の宝は、あっぱれ、此の世の大洗濯の宝となります。
九の行、九の道から生み出し、此の世の大洗濯の宝となるのです。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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