あなはち、しきまきや、くにつつみについて③ あなはち、その2 七人の此の神様が現れました

日月神示とマンデラ・エフェクト

今回は、あなはち、その2です。

遂にですが、七つ九のかミしらす。という段階に入りました。
中々のマンデラ・エフェクト文面が現れています。

もう、御自身が、七人に、道を伝えていく段階に入ってきた、という事です。

その為には、一刻も早く、此の道に進む事が求められます。

それでは、あななひの道、あなないの道について、記されている文面を引き続きお伝えしていきます。

1.あななひの道の詳細について

Ⅰ.此のお道が、あなないの道、です

何事も持ちつ持たれつであるぞ。神ばかりではならず、人ばかりではならずと申してあろが、善一筋の世と申しても今の臣民の言ふてゐる様な善ばかりの世ではないぞ。悪(ア九)でない悪とあなないてゐるのざぞ。此のお道は、あなないの道ぞ、上ばかりよい道でも、下ばかりよい道でもないのざぞ。まつりとはまつはる事で、まつり合はす事ざぞ。まつり合はすとは草は草として、木は木として、それぞれのまつり合はせぞ。草も木も同じまつり合せでないのざぞ。

あなない、あななひ。
あななひ、の方が全体的には多いのですが、ここでは、あなない(九四、二四、二四、二二)、となっています。

ひ、が一一、で、い、が二二、です。
よくできていると思います。

あなない、とは、九のしきまきや、二二のしきまきや、の立体から、まだ、更に二二の仕組みで進むという事です。
これが、あなないの道で、あなないの道とは、二二ですから、永劫に続く感覚があります。

その二二とは、持ちつ持たれつ、もあると、御伝えされています。
何事(七二五十)も、です。

ここでの何事とは、シチニの神様の五十の神々様、と見ており、七人に道を伝えていくカミヒト達、と見てゐます。
ですから、神ばかりではならず、人ばかりではならず、と申しておられます。

善一筋の世と申しても、今の臣民の言ふてゐる様な善ばかり、ではありません。
平面の善では無く、立体の善です。

それには、悪(ア九)でない悪とあなない(九四、二四、二四、二二)てゐることが求められるのです。

ですから、此のお道は、あなないの道、です。

上ばかりよい道でも、下ばかりよい道でもありません。
全ての存在、全生命体、最終的には、神界、幽界、現界、全てが生かされる道です。

まつり(九二、五三、八三)とは、まつはる(九二、五三、六四、四三)事で、まつり合はす(九二、五三、八三、九四、六四、九三)コトです。

九の二二の仕組み、五三体の大神様、理を闇から生み出す仕組とは、九の二二から、五三体の大神様によって、無のしきまきや、から三が道として産み出す流れ、をしていくコトにあります。

それは、草は草として、木は木(キはキ)として、それぞれ、まつり合はせることにあります。

草も木も、それぞれ同じまつり合わせではありません。

それぞれ、一つ一つ、のまつり合わせになるのです。

Ⅱ.神心となり、神とまつはれば、神様とあななへば、恐い日が結構な日となります

旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日は幾らでもあるぞと申してあろが、此の日は臣民には恐い日であれど神には結構な日ざぞと申してあろが、神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となるのぞ。其の時は五六七(みろく)の世となるのざぞ。桜花(さくらばな)一度にどっと開く世となるのざぞ、神激しく臣民静かな御代となるのざぞ、日日(ひにち)毎日富士晴れるのざぞ、臣民の心の富士も晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、心晴れたり日本晴れぞ。

旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日、は幾らでもあるぞ、と申されています。
気になるのが、この順でなかったような気がしていて、以前は、三月三日⇒十月八日、だったと思っています。

逆の順になった理由は、段階が進んだ人に向けて伝えているのではないか、と思います。これから、ではなく、これまでを省みて欲しい、との事でしょう。それは、此の道を体験しないと判りません。ですが、此の道を体験している人は、増えてきているのでは、とみています。

此の道に進みますと、神心となり、神様とまつはり、神様とあななへば、臣民にも結構な日、となっていくのです。

実は、段階が進む程に、苦しき日や恐ろしき日も、どんどんと結構な日、へと変わっていく所がある、と見てゐます。結構な日、が続くようになりましたら、その先には、五六七(みろく)の世となるのです。

みろくの世とは、桜花(さくらばな)一度にどっと開く世、となります。

神様が烈しく、臣民静かな御代となるのです。

それは、思念界の変化が次々起こっていくのでは、と見てゐます。

日々、毎日、二二が晴れていきます。
このようにして、臣民の心の二二も晴れ晴れと、二二は晴れたり(八、〇、十、理)、日本晴れ、となっていきます。心晴れたり、日本晴れ、となっていきます。

Ⅲ.これからは、神カカリでないと何も分からん事になるので、早う、神カカリになる様 掃除して呉れよ。と伝えられています

これからは神カカリでないと何も分らん事になるのざぞ、早う神カカリになる様 掃除して呉れよ、神の息吹に合ふと神カカリになれるのぞ。一二三唱へよ、祓えのれよ、神称へよ、人称へよ、神は人誉め 人は神称へてまつり呉れよ、まつはり呉れよ、あななひ呉れよ。

これからは、神カカリでないと何(七二)も分からん事になります。
もう一段上の無、の二二の仕組は、体験していく事で、判っていくようになります。
早う(八四ウ)神カカリになる様に掃除(そウ事)して下さい。

掃除とは、五三体の大神様を産み出していく事ですので、しきまきや、から、現界に神様を産み出すようにして下さい。これは、日々、行をすすめ、省み、心・口・行を一致させたうえに、神様の御心、を入れていく事にあります。

神様の伊吹(いぶき)に合ふと神カカリになれます。

それには、まず、一二三、唱へて(十七経て)下さい。
ひふみは、ことたま、新事(あらごと)(荒事)起こしていくウタですが、祓のウタ、浄化系のウタでもあります。

まず、祓を、悪に限らず、善にもどんどんして下さい。

いろは、は後からです。順が大切です。

でない事には、神称へよ、人称へよ、の順にはならないようです。
いろは、ばかりですと、神称へてばかりで、人称へよ、が難しいでしょう。

神は人誉め 人は神称へてまつり呉れよ、まつはり呉れよ、あななひ呉れよ。
とお伝えされています。

全て、くれよ(九〇四)、と伝えられていますので、
くにつつみ、しきまきや、から生み出して下さい、とお伝えされています。

Ⅳ.引寄せる身魂は、天で一度改めて引寄せます

表と裏とあななひぞ、あななひの道と申してあろ、引寄せる身魂は、天で一度改めて引寄せるのであるぞ、

表と裏とあななひ、です。
これは、そのまま、今現在の世界とも言えます。

表と、裏(ウ〇)と、はあななひ、です。

あななひ(九四、二四、二四、一一)の道は、永劫の過去から無限に産み出せるのです。

このようにして、裏から次から次へと現れるようになってきます。

また、会わなくなった身魂とも、天で一度改めて、引寄せる順になる事があります。

同じミタマが、同じで無くなっていく体験、これを何度も繰り返す所があるようです。

2.次の世に向けて、あななひ、の文面

Ⅰ.地の御先祖様が、マコトの元の生き神様となり、仕上げ見事成就致します

今の人民 少しは神示判って居らんと恥づかしい事出来て来るぞ、なさけない事出来てくるぞ、くやしさ目の前ぞ。次の世がミロクの世、天の御先祖様なり、地の世界は大国常立の大神様 御先祖様なり、天の御先祖様 此の世の始まりなり、お手伝いが弥栄のマコトの元の生神様なり、仕上げ見事成就致さすぞ、御安心致されよ。

今の人民 少しは神示判って居らんと恥づかしい事出来て来るぞ、なさけない事出来てくるぞ、くやしさ目の前ぞ。とありますが、実際、此の道のこと判っていませんと、神示(四、ん、事)判っていませんと、なさけない事出て来るようになっていますし、くやしさも、目の前になります。(体験済み)

それは、平面世界に留まり、人の我基軸の世界、に留まってしまうからです。

次の世がミロクの世、です。
最初の五年を終え、次の五年です。

此の道に進みますと、誰もが経験していきます。

天の御先祖(五千ぞ)様が成ります。
いつら、の仕組です。天の五千の裏の五三体の大神様から、世界が変わります。

地の世界は、大国常立の大神様 が、御先祖(五千ぞ)様なりです。

天の五千ぞ様 此(九)の世の始まりなり、となります。
お手伝いが、弥栄のマコトの生き神様なり、となっていきます。
これが、地の御先祖(五千ぞ)様です。

そのシナリオは、明確には決まっていませんが、仕(四)上げ見事成就致さします。
此の道に進んでゐる人は、ご安心下さい。

Ⅱ.四十七と四十八と四十九、七つの九のかミ、が知らす段階に入りました

天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一つとなってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、あな爽(さや)け、あなすがすがし、あな面白や、いよいよ何も彼も引寄せるから その覚悟よいか、覚悟せよ、あな爽け、あなすがすがし、四十七と四十八と四十九ぢゃ。十二月四日、七つ九のかミしらす。

その時、天も晴れ、地も輝きます。

天地一つとなって、マコトの・となりなり、マコトの地(千)となりなり、
三千世界一度に開く光の御代となります。

楽しいですし、これは、段階が進む程に体験していきます。

あなさやけ、あなすがすがし、あなおもしろや、
それは、あな(九四、二四)から始まります。
ですから、まず、九のしきまきや、二二のしきまきや、からです。

愈々何も彼も引き寄せますので、その覚悟はよいか、覚悟せよ、とお伝えされています。

あなさやけ、あなすがすがし。

それは、四十七と四十八と四十九、とお伝えされていますが、ひふみ、から始まり、いろは、と進み、七七四十九、の仕組と進みます。

最後の、七つ九のかミしらす、というのは、マンデラ・エフェクト、新たな登場です。

七つの九のかミ様が、此の道を知らしていくようです。
遂にその段階に入ってきた、という事です。

ですから、一刻も早く、七人に道を知らせて下さい。
その為には、此の道の行を進めていき、体験し、理解していく以外ありません。

あなないの道、あななひの道、に関する文面も、愈々に向かって差し掛かっていきます。

Ⅲ.天と地と御三体まつりてあななひて、末代の生きた教と光り輝きます

天の教許りではならず、地の教許りでもならず、今迄はどちらかであったから、時が来なかったから、マコトがマコトと成らず、いづれもカタワとなってゐたのざぞ、カタワ悪ぞ、今度上下揃ふて夫婦和して、天と地と御三体まつりてあななひて、末代の生きた教と光り輝くのざぞ。

天の教ばかりではならないようになっています。
地の教ばかりでもならないようになっています。

今迄はどちらかでしかありませんでしたから、時もまだ来てゐませんでしたから、マコトがマコトと成らず、いづれもカタワとなってゐたのです。

今度は、上下そろふて、夫婦和して、天と地と御三体まつりて、あななひて、末代の生きた教と光り輝きます。

この文面は、アホバの巻、第十九帖にありますが、かなり長文の為、前半の殆どはここでは省略しますが、興味ある方は読んで下さい。

3.まとめ

此のお道が、あなないの道です。

悪でない悪とあなないてゐく道です。
二二の仕組みで無限に進みます。

何事とは、シチニの神様の五十の神々様。
七人に道を伝えていくカミヒト達です。

あなないの道とは、あらゆる存在が生かされる、あらゆる存在とまつり合はす道です。

此の道に進みますと、神心となり、神様とまつはり、神様とあななへば、臣民にも結構な日、となっていくのです。すると、恐い日が結構な日となり、その時には、みろくの世へとなります。

これからは、神カカリでないと何も分からん事になりますので、早う、掃除して下さい。
神様の伊吹に合ひますと、神カカリとなります。

一二三唱(十七)へて下さい。
此の道は、ひふみ、から、新事から、祓から、進めて下さい。

このようにして、神称へよ、人称へよ、と進めて下さい。

引寄せる身魂は、天で一度改めて引寄せます。

地の御先祖様が、マコトの元の生き神様となり、仕上げ見事成就致します。

天地一つとなって、マコトの・となりなり、マコトの地(千)となりなり、三千世界一度に開く光の御代となります。

遂にですが、
七つの九のかミ様が、此の道を知らしていく段階に入ってきました。

此の後、上下そろふて、夫婦和して、天と地と御三体まつりて、あななひて、末代の生きた教と光り輝きます。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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