あなはち、しきまきや、くにつつみについて⑦ しきまきや、その4 新しきてんし様について

日月神示、道の生み出し方について

あなはち、しきまきや、くにつつみについて⑥ しきまきや、その4では、 新しきてんし様について、御伝えしていきます。

その他、霊線、霊界、神界、の事について、永遠の生命についても御伝えされています。

1.新しき、の文面 その3

Ⅰ.人間は、大神様のウズの御子です。新しき、古きものが そのままカタとして現れゐて、弥栄えてゐる道理です

生めば生む程、自分新しくなり成り、大きくなる。人間は大神のウズの御子であるから親のもつ、新しき、古きものが そのままカタとして現れゐて、弥栄えてゐる道理ぢゃ。

生めば生む程、自分が新しくなり成り、大きくなります。

これもマンデラ文面と思っていますが、
人間は、大神様のウズ(七一、裏九三)、の御子、なんて、以前無かった気がしますが、もうそういった段階に入ってきているという事です。

また、その後の文面もマンデラかもしれませんが、新しき(九四、六三、三六、四一、四二)、古きも、そのままカタとして現れてきます。

このようにして、弥栄えてゐる道理(土ウ理)、となっています。

Ⅱ.自己愛をひろげて、大きくして真愛と合致させる事で、新しき理(ミチ)がひらけます

他を愛するは真愛ぞ。己のみ愛するのは自己愛ぞ。自己愛を排してはならん。自己愛をひろげて、大きくして真愛と合致させねばならん。そこに新しき理(ミチ)ひらけるのであるぞ。

他を愛するのは、真愛(九二、九四、二二)です。
己のみ愛するのは、自己愛(裏四一、三一、九四、二二)です。

真愛とは、九の二二の仕組み、九のしきまきや、から二二の仕組みとなっていきます。
立体に進みうる、無限の愛です。

自己愛は、しきまきやを起こさない事を楽しみ始め、その結果、苦となり、死を迎える、愛です。
囚われの愛、といった方が解りやすいかもしれません。

ですが、その自己愛を排してはならないようになっています。

自己愛をひろげて、大きくして真愛と合致させていけばよいのです。
そこに新しき理(ミチ)が開けるようになります。

全ては、理解しよう、とする所から始まります。

Ⅲ.不合理にならぬ道を開くのが、霊現交流の道、立体弥栄の道、行き詰りのない道、新しき世界への道、です

現実的には不合理であっても、不合理にならぬ道をひらくのが、霊現交流の道であり、立体弥栄の道、行き詰りのない道、新しき世界への道である。

現実的には、不合理であっても、不合理にならないように道をひらくのが、霊現交流の道です。
時間がかかるケースもありますが、どのような事であっても、必ず、実現できる道は存在します。
為せば、なる時(成る十キ)、ですから、神様の申す通り、素直に行を継続していけば、間違いなく実現していきます。

一例で言えば、原爆、水爆、が此の世から、有害物質なく消せたり、また、無害の存在に書き換わる可能性もあります。

ですが、全て、霊界と、現界の交流から、キ、から始まります。

ですから、前世ヒーリングが早いです。理解しようとする所から必ず道は開けていきます。

ここから、立体弥栄の道へと進みます。

行き詰りがあるのは、新たな世界を切り開く為にあります。
理解しようと、する所が求められているのですが、残念ながら、その事に気付けずに平面に留まる方が殆どです。それは、11の囚われの為、6つの慢心が原因です。

平面のみから入るとどうしても、有限で留まりますので、立体に進むには、霊との改心、御自身の改心と共に進めて下さい。

Ⅳ.草木動物、悉く自分とし、天を自分にしますと、ムとなり、〇と化し、ウとムと組み組みて、新しき、ムとなります

高い心境に入ったら、神を拝む形式はなくともよいぞ。為すこと、心に浮ぶこと、それ自体が礼拝となるからぞ。
山も自分、川も自分、野も自分、海も自分ぞ。草木動物 悉く自分ぞ、歓喜ぞ。その自分出来たら天を自分とせよ。天を自分にするとはムにすることぞ。〇に化すことぞ。ウとムと組み組みて新しきムとすることぢゃ。

高い心境に入りましたら、神様を拝む型式は無くても大丈夫です。
為すこと、心に浮かぶこと、それ自体が礼拝となるからです。

山も自分、川も自分、野も自分、海も自分、です。
草木動物、悉く自分です。

ですから、菜食は当たり前、という事が判ってくると思います。
でなければ、永劫に歓喜の継続、とならないからです。

菜食を進め、その御自身が出来ましたら、天を自分として下さい。
天を自分にするとは、ムにすることです。

その次、それが、〇に化すことになります。
形に現れるようになります。
これが、マンデラ・エフェクトでもあります。

ウとムと組み組みて、新しき、ムとして下さい。

ウは有、でもありますが、生、でもあります。
それが、無限に続きます。

Ⅴ.心のいれかへせよ、とは、新しき神界との霊線をつなぐことです

心のいれかへせよとは新しき神界との霊線をつなぐことぞ。そなたは我が強いから、我の強い霊界との交流が段々と強くなり、我のむしが生れてくるぞ。我の病になって来るぞ。その病は自分では判らんぞ。

心のいれかへ(意、〇、六七、経)せよ、とは、新しき神界(四、ん、六七、二二)との霊線をつなぐことにあります。

心のいれかへ、とは、心(九九六)を、ム、もう一段上のムを経る意識で産み出す事にあり、
それは、しきまきや、から、ム、もう一段上のム、二二の仕組みから次々、有、〇に現して行く事にあります。

我が強いままですと、我の強い霊界との交流が段々と強くなり、我のむし(六四)が生まれてくるようになります。

それが、有限の愛(6)、平面(4)となります。

我の病となってきますが、中々自分では判らないようになっています。

Ⅵ.新しき世界には、新しき、てんし様、てんか、をこしら(九四〇)得ねば、成らんようになっています

新しき世界には新しき【てんし(天詞)てんか】をこしらえねばならん。このこと間違えるでないぞ。珍らしき御型(方)が出て来てびっくりぢゃ。びっくりしなければヒックリとはならんぞ。神は今迄 化けに化けていたが、もう化けては居られん。人民ももう化けては居られんぞ。

新しき(九四、六三、三六、四一、四二)、世界には、新しき【てんし(天詞)てんか(・、六七)】をこしら(九、四、〇)えねば(得ねば)なりません。

このこと間違えないようにしてください。と伝えられています。

これも、九の行(くにつつみ)、四の行(しきまきや)から、生み出し、得ないと成りません。

新しきてんし様は、・四様、であり、・千様、であり、シチニの神様でもあり、・二(てんぷ)様でもあります。

そして、てんか(・、六七)、とは、一つの王で治めることにある、と見てゐます。
御自身が、周囲一切、全てと一体になる感じです。
それでいて王統要りません。

世界中自在に別け取りしてゐた神々様、早う改心第一ぞ。一(ひとつ)の王で治めるぞ。てん詞様とは天千様のことぞと申してあろがな、この方シチニの神と現はれるぞと申してあろがな、天二(てんぷ)様のことざぞ。行なしではまことのことわからんぞ、出来はせんぞ、神の道 無理ないなれど、行は誰によらずせなならんぞ。この方さへ三千年の行したぞ、人民にはひと日も、ようせん行の三千年、相当のものざぞ。

その為には、早う(八四ウ)の改心をして下さい。しきまきや、から、この現界に、神様を生み出して下さい。
行なしではまこと(〇九十)のことは、どうやっても判らないようになっています。

この方さへ、三千年の行したぞ。とありますが、
此の道に進みますと、本当にする可能性が高いと見ています。
一日が百日、一年、百年、となり、一か月で、三千年の行をするのでしょう。

人民にはひと日も、ようせん行の三千年、相当のもの、とありますが、此の神様と共に進んでゐるからこそ可能なのであって、人の我ではできませんし、御神示無しでは不可能です。

人の我の慢心、とは、千人力になっても無くなっていないのです。更には、段階が進んだ慢心、というのもあります。それ程、11の囚われ、6つの慢心の改心は簡単ではありませんが、ですが、一段一段進めていく事で、千人力の仕事をさせて頂けるようになっています。

珍しき(六六、裏九三、三六、四一、四二)御方は、無の二二の仕組みでも、裏九の三が道から生まれますから、判らないようになっていきます。

その方が出て来て、ビックリします。
びっくりでなければ、ヒックリにはならない、と伝えられています。

神様は、今迄、化けに化けていましたが、もう化けてはおられんようになってきました。
囚われの神様なのか、無限に生み出して行く神様か、は、御自身の心・口・行に応じて現れます。

人民も、もう化けてはおられなくなります。
半霊半物に進むか、獣となるか、御自身の心・口・行に応じ、どちらかへと進む事になります。

Ⅶ.違ったものが和すことによって新しきものを生みます

違ったものが和すことによって新しきものを生むのであるぞ。奇数と偶数を合せて、新しき奇数を生み出すのであるぞ。それがまことの和であり清めであるぞ。

違ったものが和すことによって、新しきものを生みます。

奇数と偶数を合せて、新しき奇数を生み出すのです。
それが、まことの和であり、清め、になります。

違ったもの、者、が和合しない事には、新しき世界は生み出せないようになっているのです。

既に和しているもの同士では新たな世界変化が起こりませんので、合わないものと和が求めらており、それが、清めになるのです。

実際、此の道に進みますと、合わない者同士、和する事を、一段一段進めるよう、その場面がやってくるようになります。それが、無理なく、高飛びなく、できるようになっています。

親、兄弟、配偶者、仕事関係の方々、といった所で現れる事もよくあり、私が関係していく方は、この傾向が強いです。

Ⅷ.友(十母)を次々作り、皆己となれば、己が無くなります。己無くなれば、永遠に生命する無限の己となります

友をつくりなさい、友つくることは己をつくることと申してあろうが。友つくることは新しき世界をつくることぞ。一人の世界は知れたものぞ。一人ではマコトの道を生きては行かれんぞ。友と申しても人間ばかりではないぞ。山も友、川も友、動物も植物も皆友ぞ。大地も大空も皆友となるぞ。何も彼も皆友ぢゃ、皆己ぢゃ。皆々己となれば己はなくなるぞ。己なくなれば永遠に生命する無限の己となるのぢゃ。

友(十母)とは、母なる神様です。
元の神様とも言えます。

ですから、友つくるとは、己をつくることでもあるのです。

友(十母)つくることは、新しき世界をつくることなのです。
元の神様を、生み出す事が求められますが、日々、思念界の行等を進めていく事が求められます。

一人の世界は知れています。
一人では、マコトの道を生きては行けないようになっています。

友と申しても、人間ばかりではありません。
人間が難しいのであれば、山、川、動物、植物、どこからでもいいのです。

大地、大空、でもいいのです。水、菌、バクテリア、どこからでも大丈夫です。

皆、友(十母)ですし、御自身です。

皆々、己となりましたら、己なくなります。
己なくなりますと、永遠に生命する無限の己、となります。

Ⅸ.何もかも三分の一、大掃除で残った三分の一で、新しき御代の礎、となります

三分の一の人民になると、早うから知らせてありたことの実地がはじまっているのであるぞ。何も彼も三分の一ぢゃ、大掃除して残った三分の一で、新しき御代の礎と致す仕組ぢゃ、三分六ヶ敷いことになっているのを、天の神にお願い申して、一人でも多く助けたさの日夜の苦心であるぞ、

三分の一の人民になると(成る十)、早うから知らせてありたことの実地が始まっているのです。

何もかも三分の一、になります。
大掃除して残った三分の一で、新しき御代の礎と致す仕組です。

三分難しい(六ヶ敷い)ことになっているのを、三分、無のしきまきや、からコトになっていくことを、天の神様にお願い申して、一人でも多く助けたさの日夜(二千八)の苦心(九四ん)です。

千人力から、神様へと進むには、常々、九の行、九の心、九の神、九真、九新、が求められます。
必ず、しきまきや、が求められます。

2.まとめ

人間は、大神様のウズの御子です。
ですから、親のもつ、新しき、古きものが そのままカタとして現れゐて、弥栄えてゐる道理、
となっていきます。

自己愛をひろげて、大きくして真愛と合致させる事で、新しき理(ミチ)がひらけます。

不合理にならぬ道を開くのが、霊現交流の道、立体弥栄の道、行き詰りのない道、新しき世界への道、です。
前世ヒーリング、が早いです。

あらゆる存在は、御自身ですから、菜食は当たり前の事となります。
その次に、・を御自身とし、ムとし、〇(有)と化し、ウム組み組みて進めることとなります。

心のいれかへせよ、とは、新しき神界との霊線をつなぐことです。
御自身の我の改心に応じて、繋がる神界も変わっていきます。

新しき世界には、新しき、てんし、てんか、をこしら(九、四、〇)得ねば、ならんようになっています。
新しきてんし様は、・四様、であり、・千様、であり、シチニの神様、でもあり、・二(てんぷ)様、でもあります。
そして、てんか、とは、一つの王で治めることにあります。それでいて王統要りません。

違ったものが和すことによって新しきものを生みます。
此の道に進みますと、合わない者と出会う事も多いですが、それは、新たな世界を生み出す為です。

友(十母)つくることは、新しき世界をつくることで、友(十母)を次々作り、皆己となれば、己が無くなります。己無くなれば、永遠に生命する無限の己となります。

何もかも三分の一、大掃除で残った三分の一で、新しき御代の礎、となります。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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