天地に関する文面③に進みます。
今回は、下つ巻 第三十七帖、です。
今回のマンデラ・エフェクトは、ほぼ全面的に起こり、天地光るミロクの世について、そこまでの道中に向けてについて、
詳細化して御伝えされています。
世が変わりましたら、天地光り(⦿、三⦿、理)、人も光り、草も光ります。
天地、人、草が、光る時が来るには、それは、三界和合から、道を生み続けていく為です。
また、雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹く、と雨の神、風の神も申しておられます。
今の世では、雨風(あめ、三⦿千)を臣民がワヤにしている為です。
神のゐる場所を塞いで居りて、お蔭ないと申すが分らんと申しても余りであるぞ、とあります。
まず、神のゐる場所を塞いで居る御自身を変える事の自覚から、とあります。
それには、一段一段、我の改心を進め、周囲の世界が変わる事を実感していく事が求められます。
あめのひつくの民、と申すのは、世界治める、みたまの入れものの、ことです。
民草とは、一人をまもる入れもの、の事です。
あめのひつくの民、である前提になってきている所があります。
民草、とは、一人をまもる入れもの、とありますが、これも、やがて判る時が来る、とみます。
ひつくの民とは、生れ代り死に代り、鍛へて(キ、十、経て)ゐる、とあります。
実は、改心進む事が、生れ代り、死に代り、を繰り返してゐますし、この事によって、神のキを経てゐる事が判ってきます。
生きてゐる間に、生れ代り、死に代り、を繰り返す事が求められます。
ですから、ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してある通り、と伝えられてゐます。
どのような方もおちぶれている事が判ってきます。
この後、今に上、下、になります。逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいてゐます。
改心した者から楽にして頂けます。
御用に使ふようにして頂けます。
それでは、天地に関する文面③、をお伝えしますね。
- 1.下つ巻 第三十七帖 世が変わりましたら、天地光り(⦿、三⦿、理)、人も光り、草も光ります。今に上、下になり、逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいています。
- Ⅰ.世が変わりましたら、天地光り(⦿、三⦿、理)、人も光り、草も光り、雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹く、と雨の神、風の神も申しておられます。
- Ⅱ.今の世では、雨風(あめ、三⦿千)を臣民がワヤにしているのです。神のゐる場所を塞いで居りて、お蔭ないと申すが分らんと申しても余りであるぞとあります。
- Ⅲ.神ばかりでもならず、臣民ばかりでもなおならず、臣民は神の入れもの、とお伝えした通りです。
- Ⅳ.あめのひつくの民と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことです。
- Ⅴ.民草とは一人をまもる入れものの事です。
- Ⅵ.ひつくの臣民は神がとことん試しに試しますから、可哀そうなれど我慢して呉れよ、とお伝えされています。その代り御用つとめてくれたら、末代名を残して、神からお礼申されます。
- Ⅶ.何事も神は帳面つけとめてゐるのですから、間違ひありません。此の世ばかりでありません。生れ代り死に代り鍛へてゐるのです。
- Ⅷ.ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してある通りです。今に上、下になります。
- Ⅸ.逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいています。
- 2.まとめ
1.下つ巻 第三十七帖 世が変わりましたら、天地光り(⦿、三⦿、理)、人も光り、草も光ります。今に上、下になり、逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいています。
Ⅰ.世が変わりましたら、天地光り(⦿、三⦿、理)、人も光り、草も光り、雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹く、と雨の神、風の神も申しておられます。
●世が変りたら天地光り人も光り草も光り、石も物ごころに歌ふぞ、雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹くと雨の神、風の神 申して居られるぞ。
出だしの部分が、マンデラ・エフェクトです。
世が変わりましたら、天地光り(⦿、三⦿、理)、人も光り、草も光り、
この三つが、光り(⦿、三⦿、理)となる点が新たに生まれています。
天地、人、草、は三界和合から新たな世界、理へと進むのです。
その上で、石(一四)も物ごころに歌ふのです。
石が物ごころに歌ふ、のも初めて、ではないでしょうか。
この後は、2025年頃生れたマンデラ・エフェクト文面です。
雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹く、と雨の神、風の神も申しておられるのです。
Ⅱ.今の世では、雨風(あめ、三⦿千)を臣民がワヤにしているのです。神のゐる場所を塞いで居りて、お蔭ないと申すが分らんと申しても余りであるぞとあります。
●今の世では雨風を臣民がワヤにしているぞ、降っても降れず、吹いても吹かん様になりてゐるのが分らんか。盲つんぼの世の中ぞ。神のゐる場所塞いで居りて お蔭ないと不足申すが、分らんと申しても余りであるぞ。
今の世では、雨風(あめ、三⦿千)を臣民がワヤにしているのです。
ですから、降っても降れず、吹いても吹かん様になりてゐるのが分らんか。とあるのです。
盲(三三、ウ)つんぼの世の中、なのです。三が道を生み出す事を忘れてゐる世です。
神のゐる場所を塞いで居りて、お蔭ないと申すが分らんと申しても余りであるぞ、とあります。
まずは、神のゐる場所をう歳で居る御自身の自覚からです。
Ⅲ.神ばかりでもならず、臣民ばかりでもなおならず、臣民は神の入れもの、とお伝えした通りです。
●神ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、臣民は神の入れものと申してあろが、
神ばかりでもならず、臣民ばかりでは、なおならず、とお伝えされています。
改めて、神と臣民の位置付けをお伝えされています。
神があって、臣民です。(元々、臣民も神でもありましたが)
臣民は、神の入れ物と申してある通りです。
Ⅳ.あめのひつくの民と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことです。
●あめのひつくの民と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことぞ、
これも、2025年頃に起こったマンデラ・エフェクト文面です。
あめのひつくの民、と申すのは、世界治める、みたまの入れもののこと、です。
Ⅴ.民草とは一人をまもる入れものの事です。
●民草とは一人をまもる入れものぞ、
これは、新たに見るマンデラ・エフェクト、です。
民草とは、一人をまもる入れものの事です。
民草とは、民の草でしょうか。それは、一人をまもる入れものの事とありますが、
これは、草とやり取りする民、が一つ解釈としてありそうです。
民草は、十三九三、とも書けますから、神の三が道、九から三が道を生み出す草かもしれません。
ですから、普段、草木とのやり取りも大切です。
無限に新たな世界を生み出すやり取りをしていく事が大切です。
Ⅵ.ひつくの臣民は神がとことん試しに試しますから、可哀そうなれど我慢して呉れよ、とお伝えされています。その代り御用つとめてくれたら、末代名を残して、神からお礼申されます。
●ひつくの臣民は神がとことん試しに試すのざから、可哀そうなれど我慢して呉れよ、その代り御用つとめて呉れたら、末代名を残して、神からお礼申すぞ。
ひつくの臣民は、神がとことん試しに試すのですから、可哀想なれど、我慢して呉れよ(九〇四)、とあります。
神がとことん試しに試すのです。「とことん」の試しはマンデラ・エフェクト、とみます。
ですが、この時御自身の神もとことん試しに試しに行きます。
御自身が能動的に試しができているかどうかとても大切です。
ですから、日々、くにつつみ、しきまきや、から新たな世界を生み出して下さい。
その代わり、御用つとめて呉れたら(九〇十〇)、末代、名を残して、神からお礼申すぞ、
とあります。
これも、かなり不思議に思っています。末代、名を残して、神からお礼申す段階になる境地、頭で考えますと、想像つきません。ですが、此の道に進みますと、必ずその通りになっていく時がきます。
Ⅶ.何事も神は帳面つけとめてゐるのですから、間違ひありません。此の世ばかりでありません。生れ代り死に代り鍛へてゐるのです。
●何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ、この世ばかりでないぞ、生れ代り死に代り鍛へてゐるのぞ、
何事も、神は帳面つけとめてゐるのですから、間違ひない、とあります。
この後が、マンデラ・エフェクト文面です。
この世ばかりではないのです。
生れ代り死に代り、鍛へて(キ、十、経て)ゐるのです。
実は、改心進む事が、生れ代り、死に代り、を繰り返してゐますし、この事によって、神のキを経てゐる事が判ってきます。
それは、別の並行宇宙に存在しています。
Ⅷ.ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してある通りです。今に上、下になります。
●ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してあろがな、今に上、下になるぞ、
ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してある通りです。
この後、今に上、下、になります。というのは初めて、とみます。
これはあらゆるところで考えられます。
Ⅸ.逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいています。
●逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、逆立ち苦しかろがな、改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使ふぞ。
逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいてゐます。
逆立ち苦しいであろう、とお伝えされています。
改心した者から楽にして頂けます。御用に使ふようにして頂けます。
まず、我の改心を進めていく事にあります。
2.まとめ
世が変わりましたら、天地光り(⦿、三⦿、理)、人も光り、草も光り、雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹く、と雨の神、風の神も申しておられます。
天地、人、草、は三界和合から新たな世界、理へと進むのです。
今の世では、雨風(あめ、三⦿千)を臣民がワヤにしているのです。
盲(三三、ウ)つんぼの世、生み出す事を忘れた世になっています。
神のゐる場所を塞いで居りて、お蔭ないと申すが分らんと申しても余りであるぞとあります。
臣民は、神の入れ物と申してある通りです。
あめのひつくの民と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことです。
民草とは一人をまもる入れものの事です。
ひつくの臣民は神がとことん試しに試しますから、可哀そうなれど我慢して呉れよ、とお伝えされています。
これは、能動的に御自身が試す段階も入っていきます。
その代り御用つとめてくれたら、末代名を残して、神からお礼申されます。
何事も神は帳面つけとめてゐるのですから、間違ひありません。
此の世ばかりでありません。生れ代り死に代り鍛へてゐるのです。
それは、別の並行宇宙に存在しています。
ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してある通りです。今に上、下になります。
逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいています。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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