今回は、無く(七九)なる文面について③ になります。
文面は三つだけですが、相変わらず、マンデラ・エフェクトが起こってゐる文面が入っています。
今回御伝えします文面は、全て、マンデラ・エフェクトがあったように思っています。
かしはで、と、カシハデ、について。ちかひ、願ひ、の印について。
無き地獄、罪、が、影だけの守護の話から、表の守護となり、裏表守護になりたら、誠の守護となる事。について。
モノが無くなる境地について。
いずれも、興味深い内容となっています。
それでは、順に御伝えしますね。
1.無く(七九)なる文面について③ 表裏揃うた誠の守護へと進んで下さい
Ⅰ.かしはで、とカシハデ、二つあります。かしはでは、ちかひとチカヒのしるし。手摺るのは願ひのしるし。です。
●何故、喜び受けぬのぢゃ。宗教は無くなって了ふぞ。誠光るのぢゃ。光のマコトの宗教生れるのぢゃ。その時は宗教でないぞ。心得なされよ。かしはでとカシハデと二つあるぞ。拍手はちかひとチカヒのしるし。手摺(す)るのは願ひのしるし。
何故、喜び受けぬのぢゃ。と御伝えされています。
宗教は無くなってしまうぞ。とあります。
つまり、それは、囚われが無くなる、という事にあります。
誠(〇九十)が光る世、となります。
光のマコトの宗教が生まれるのです。
それは宗教ではありません。道です。
弥栄実践、祓実践、まつり実践から、行じ省み、我の改心から進んで行きます。
一対一、二人の行と共に世界民の会より、進みます。
一段一段、時間もかかります。
油断せず、行じ、心得てください。
此の後の文面はマンデラ・エフェクト文面ですね。
かしはでとカシハデ二つあります。
柏手は、ちかひ(千、六七、一一)とチカヒ(千、六七、一一)のしるし。
千人力を、無、もう一段上の無、永劫の過去から生み出す裏表のしるし、です。
手摺(す)るのは願ひ(根、裏六七、一一)のしるし。
ウシトラコンジン様、を永劫の過去から生み出す仕組み、です。
ね、は、三七でもあります。三が道から、もう一段上の無を生み出す神様でもあります。
かしはで、カシハデ、が誓ひ、手をする、が願ひを意味している文面です。
それが、裏表、ある、とも言えそうです。
Ⅱ.道知るのみでは何にもなりません。味わい、歩んで下さい。悪も善も、もう隠れるところ無くなります。
●一四三(ビョーサマ)一四三(ビョーサマ)、改心 早う結構ぞ。道知るのみでは何にもならん。道味はへよ、歩めよ、大神の道には正邪ないぞ。善悪ないぞ。人の世にうつりて正と見え邪と見えるのぢゃ。人の道へうつる時は曇りただけのレンズ通すのぢゃ。レンズ通してもの見ると逆立するぞ。神に善と悪あるやうに人の心にうつるのぢゃ。レンズ外せよ。レンズ外すとは神示読むことぞ。無き地獄、人が生むぞ。罪ぞ。曲ぞ。今迄は影の守護であったが岩戸ひらいて表の守護となり、裏表揃うた守護になりたら、まことの守護ぞ。悪も善も、もう隠れるところ無くなるぞ。
ビョーサマ、ビョーサマ、改心、早う結構です。
病気を、三が道、真実から改心を進めて下さい。
病気で無い方、囚われが無い方はいません。ですから、改心が求められます。
道知るのみでは何にもなりません。
実際には、道は、味わなくては、判りません。
歩んでいかないと判りません。
それが、カミヒト共にの境地、です。
大神様の道には、正邪がありません。善悪ありません。
人の世うつりて正、と見え、邪と見えるのです。
人の道へうつる時は、曇りただけのレンズ通すのです。
(このレンズの通しての見方も以前はなかった、と見ますが)
レンズ通してもの見ますと、逆立ちします。
神に善と悪あるように、人の心にうつるのです。
これが、囚われでもあり、平面的善悪論でもあります。
ですから、レンズ外して下さい。
レンズ外すとは、御神示読むことにあります。
無き地獄 人が生みます、罪です、曲がります。
今までは、影の守護でしたが、岩戸ひらいては表の守護となります。
無き地獄、人が生みます、罪、ですね。
これが、主となる時、表の守護となる時が来ます。
ですが、これを御自身の中、思念界に留め、悪を悪で無くし、苦を苦で無くし、喜び、としていくのが一番と見ます。それが、此の道の行の始め程、カルマ解消的な事、苦しい改心が求められるのです。
ですから、日々の行が大切となります。そして、11の囚われ、6つの慢心の改心を続けていく事が求められます。このようにして、表の世界、が喜びとなるのです。
裏表揃うた守護となりましたら、まことの守護となります。
これを御自身の中で実現してく事が求められるのでしょう。
このようにして、無き地獄、人が生む罪、を御自身の内に留め、そして、新たに生み出し、外の世界を喜びと現していく事が求められます。
悪も善も、もう隠れるところ無くなってきます。
これは、悪を悪で無くした、今現在、過去、未来、境界線が無くなり、今現在に集約してくる、流れにもなってくるのでしょう。
遅かれ早かれこの流れとなります。
御自身の内で咀嚼せず、周囲の表だけに現れますと、手遅れ、81の世界へと進みます。
Ⅲ.モノは無く(七九)なり、霊は永遠に弥栄します。
●見へる幸福には限りがあり、見へぬ幸福は永遠であるぞ。理(ミチ)にいそしめ。理(ミチ)にとけ入れよ。モノは無くなるぞ。霊は永遠に弥栄えるぞ。毎日々々掃除してもホコリはたまる。絶えず心の掃除よいか。洗濯よいか。目に見へず、上、下、左、右、前、後から何となくせまってくるものをサニワせよ。サニワして受けいれねばならん。自分の魂をはぐくみ、生長さしてくれる大切なものは目に見へんところから流れてくるぞ。和せよ。調和せよ。調和とは、上から、より清い所から流れて来るものに従ふことぞ。いよいよが一四一四となるぞ。雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神、大地震の神。
見へる幸福には限りがあります。
ですが、見えぬ幸福は永遠です。
そこには必ず、理解、が伴います。
理にいそしんで下さい。
理(ミチ)にとけいって下さい。
死んでも持っていけるのは、理解、と、体験、だけなのです。
モノは無く(七九)なります。
霊は永遠に弥栄していきます。
モノは無く(七九)なります。は、以前無かったのではなかったかな、と思います。
確かに、今現在でも、モノはいつかは無くなるのでしょうが、それは、七九成る事で、有無組み組みて、的な解釈は無かったのかな、と思います。それは、霊の永遠の弥栄に伴ってです。
また、実際、モノが無くなる世界なのかもしれません。それが、半霊半物の世界かもしれません。
このようにして、見へぬ幸福は永遠に続くのでは、と見ます。
毎日毎日掃除しても、ホコリはたまります。
絶えず心の掃除して下さい。洗濯して下さい。と伝えられています。
目に見へず、上、下、左、右、前、後、から何となくせまってくるもなサニワして下さい。
サニワして、その上で受け入れて下さい。
自分の魂をはぐぐみ、生長さしてくれる大切なものは、目に見へんところから流れてきます。
そこで、直近でお勧めしてきたのが、野菜、草木達もそうですが、水、大気、キン、お土、バクテリア、等、原子に近づいて行く、無に近い、存在達へ、和する行、サニワしていく行です。
そこから、和して下さい。
調和(まつり)して下さい。
あらゆる存在と和する、まつりの行、の元でもあり、継続的千人力の元でもあります。
調和(まつり)とは、上から、より清い所から流れて来るものに従ふ事にあります。
無に近い物質達と、より清い関係性になる事が求められます。
このようにして、いよいよは、一四一四と成ります。
しきまきや、から次々始まる世です。
雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神、となり、大地震の神。が現れます。
(ちなみに、大地震の神様は、1~2年程前、後からマンデラ・エフェクトで現れています。)
大地震の神も、実際の地震ではなく、じしん(裏四、表四、ん)、表裏の、四、から生まれて来る神様でもある為、
実際には、大地震が起こらずに済む可能性もある、と見てゐます。
苦や悪は、思念界で留め、心の内で留め、和して、弥栄していき、外の世界は、喜びを次々生み出して行く事が求められます。
2.まとめ
宗教は無くなってしまひ、誠光る世界へと進みます。
その時には、光のマコトの宗教生まれます。
その時は宗教でなく、道であり、弥栄実践、祓実践、まつり実践から、行じ省み、我の改心から進んで行きます。
心得(九九六得)なされよ(七三〇四)。とあります。
かしはでとカシハデ二つあり、
柏手は、ちかひ(千、六七、一一)とチカヒ(千、六七、一一)のしるし。
千人力を、無、もう一段上の無、永劫の過去から生み出す裏表のしるし、です。
手摺(す)るのは願ひ(根、裏六七、一一)のしるし。
ウシトラコンジン様、を永劫の過去から生み出す仕組み、です。
ね、は、三七でもあります。三が道から、もう一段上の無を生み出す神様でもあります。
それが、裏表、ある、とも言えそうです。
道知るのみでは何にもなりません。
実際には、道は、味わなくては、判りません。
歩んでいかないと判りません。
それが、カミヒト共にの境地、です。
人の道へうつる時は、曇りただけのレンズ通す事になります。
レンズ通してもの見ますと、逆立ちします。
それが、囚われであり、平面的善悪論でもあるのです。
ですから、レンズ外して下さい。
レンズ外すとは、御神示読むことにあります。
無き地獄 人が生んだ、罪、曲げた事。
これまでは、影の守護でしたが、岩戸ひらいて表の守護となり、裏表揃うた守護になりたら、まことの守護となります。これを御自身の内で起こす事が求められます。
もし、起こさず外の世界の表に現れましたら、81の世界へと移行し、手遅れです。
見へる幸福には限りがあります。
ですが、見えぬ幸福は永遠です。
そこには必ず、理解、が伴います。
理にいそしみ、溶け込みますと、モノは無く(七九)なります。
霊は永遠に弥栄していきます。
それは、七九成る事で、有無組み組みて、となり、実際、モノが無くなる半霊半物の世界かもしれません。
自分の魂をはぐくみ、生長さしてくれる大切なものは目に見へんところから流れてきますので、野菜、草木達もそうですが、水、大気、キン、お土、バクテリア、等、原子に近づいて行く、無に近い、存在達へ、和する行、サニワしていく行をして下さい。
そこから、和して下さい。調和(まつり)して下さい。
あらゆる存在と和する、まつりの行、の元でもあり、継続的千人力の元でもあります。
このようにして、いよいよは、一四一四と成ります。
しきまきや、から次々始まる世です。
雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神、となり、大地震の神。が現れます。
大地震ではなく、御自身の心の内から変えていき、苦や悪は、思念界で留め、心の内で留め、和して、弥栄していき、外の世界は、喜びを次々生み出して行く事が求められます。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。