結構に関する文面19 神となれば、神人となれば、何事も心のままです。大神とは一十(カミヒト)のことです

マンデラ・エフェクト文面(2025年6月24日~

結構に関する文面19に進みます。

今回のマンデラ・エフェクト文面は、黒鉄の巻(クロガネの巻)第六帖、第十三帖、第二十三帖、の三つの文面です。

今回のマンデラ・エフェクトは、第六帖、と、第二十三帖、で起こってゐます。

第六帖、では、
あかりつけなければ闇のよは歩けません。それぞれのあかりとなりて下さい。油は神示、つきません。いくらでもあかりつけて下されよ、とあります。

御自身が、それぞれのあかりとなりて下さい。

それには、マツリから出直しです。結構に大きなまつり、小さいまつり、まつろひて下されよ、とあります。

第二十三帖、では、
理解は正信です。
神の気通うたら、その気を人間にうつす御役、救ひの御役を結構につとめあげて呉れよ、とあります。

自分の自由にならんことは、大き自分が自由にしてゐるのです。

神となれば、神人となれば、何事も心のままです。神とは神、大神とは一十(カミヒト)のことです。

それでは、結構に関する文面19、をお伝えしますね。

1.黒鉄の巻(クロガネの巻)第六帖 それぞれのあかりとなりて下さい。いくらでもあかりつけて下されよ、として下さい。マツリから出直しです。

Ⅰ.トコトン迄行って、神がさすのでは、人間の面目ないので、人間同士でよく致して下されよ、とあります。

気づいたことから早う改めて下されよ。トコトン迄行って神がさすのでは人間の面目ないから、人間同士でよく致し下されよ。

気づいたことから早う改めて下されよ、とあります。

トコトン迄行って、神がさすのでは、人間の面目ありませんから、人間同士でよく致し下されよ、とあります。

人間同士で、よく致し下されよ、は初めて、の文面、とみます。

Ⅱ.只有難いだけではならん、ようになっています。仕事、努力せねばならんようになっています。ぢっとしてゐては進めん道理です。

只有難いだけではならん。仕事せねばならん。努力せねばならん。ぢっとしてゐては進めん道理ぢゃ。

マンデラ・エフェクト文面ですね。

只、有難いだけではならん、ようになってゐます。

仕事せねば、ならんようになっています。
努力せねば、ならんようになっています。

ぢっとしてゐては進めん道理です。

Ⅲ.あかりつけなければ闇のよは歩けません。それぞれのあかりとなりて下さい。油は神示、つきません。いくらでもあかりつけて下されよ、として下さい。

あかりつけなければ闇のよは歩けんぞ。それぞれのあかりとなれよ。油は神示ぢゃ。油つきん、いくらでもあかりつけて下されよ。

あかりつけなければ、闇のよは歩けんようになっています。

それぞれのあかりとなりて下さい。

油は神示です。

最後がマンデラ・エフェクト、とみます。

油つきん、いくらでもあかりつけて下されよ、とあります。

いくらでもあかりつけて下されよ、の段階と現在なっています。

Ⅳ.マツリから出直しです。結構に大きなまつり、小さいまつり、まつろひて下さよ、として下さい。

マツリから出直せよと申してあらう。結構に大きまつり、小さいまつり、まつろひて下されよ。神心になれば、神ありやかに見えるぞ。

出だしの、
マツリから出直せよ。
はマンデラ・エフェクトと見ます。

結構に大きまつり、小さいまつり、まつろひて下されよ、として下さい。

神心になれば、神ありやか、に見えます。

2.黒鉄の巻(クロガネの巻)第十三帖 悪を意志して、悪を理解する処に、善としての悪のハタラキ生れます。幽界の霊についても同様です。

この文面は、私が、初期の頃に影響を受けた、考えさせられた文面です。
久しぶりにマンデラ・エフェクトは無いとみます。

ですが、此の道に進み、悪、と、善の理解が明確になってきました。

Ⅰ.理屈で進んで行きますと、しまひには共喰から、われとわれを喰ふことになります。

理屈で進んで行くと、しまひには共喰から、われとわれを喰ふことになるぞ。

理屈で進んで行きますと、しまひには、共喰いから、われとわれを喰ふことになります。

これは、理屈は囚われの元となり、新たに生み出せない世界を選択をしている為です。

その結果、共喰いから、われとわれを喰ふことになります。

Ⅱ.神様を真剣に求めれば、神様は人間様を真剣に導いて下さります。結構に導いて下さります。

神様を真剣に求めれば、神様は人間様を真剣に導いて下さるぞ。結構に導いて下さるぞ。

神様を真剣に求めれば、神様は人間様を真剣に導いて下さります。

結構に導いて下さります。

Ⅲ.悪、善、を人間基軸ではなく、御神示基軸で判って来る話です。

悪を意志して善を理解すること許さんぞ。悪を意志して善を理解せんとするのが悪ぞ。善を意志して悪を理解せんとするのも悪ぞ。

悪を意志して善を理解することは許されません。
御神示的悪ですね。前の段階に留まるを意志している段階で、新たな段階に進む善を理解することは、許されないのです。
ですが、この選択をしている方は、囚われ第一主義の方、とても多いですね。
ですから、この場合は、好転的書き換え現象は、起こらないようになっていきます。

悪を意志して、善を理解せんとするのが悪です。
囚われを意志して、囚われない世界を理解しない、また、囚われ無くす理解をしないのが、悪です。
この段階の悪の方も、非常に多いです。

善を意志して、悪を理解せんとするのも悪です。
新たな段階を意志しているにも関わらず、前の段階を理解しないのは、分け隔てとなるのです。
この分け隔ての方、とても多いです。これも悪となり、囚われとなります。

Ⅳ.悪を意志して、悪を理解する処に、善としての悪のハタラキ生れます。

悪を意志して悪を理解する処に、善としての悪の用(はたらき)うまれるのざ。

悪を意志して、悪を理解する処に、善としての悪の用(はたらき)生まれます。

悪、前の段階を意志し、前の段階の世界を理解するところに、新たな世界生み出す善としての、悪の用(はたらき)が生れるのです。

これは、悪を意志し理解した上で、新たな世界を生み出した、理解、体験が無い事には判らない境地です。

これは、そのまま、幽界、霊界にもあてはまります。

幽界の霊を意志して、幽界の霊を理解するところに、善としての、悪の用(ハタラキ)が生れるのです。

ですが、少なからず、気付かない内にも、この事を、理解、経験している方も居るとみます。

真剣に進めば、此の事を理解、体験していく機会は増えて行きます。

Ⅴ.幽界も、また神のしろしめす一面のことです。

幽界も亦(また)神のしろしめす一面のこと。

このように、幽界も、また、神のしろしめす一面のことです。

悪でありながら、善としての、悪のハタラキがあるのです。

それは、意志し、理解しようとするところから始まります。

3.黒鉄の巻(クロガネの巻)第二十三帖 理解は正信です。神となれば、神人となれば、何事も心のままです。神とは神、大神とは一十(カミヒト)のことです。

Ⅰ.何事も体験は結構です。迷信と思ふものの中に正信あり、正信と思ふものの中に迷信多いです。理解は正信です。

何事も体験結構。今の人民の迷信と思ふものの中に正信あるぞ。正信と思ふものの中に迷信多いぞ。理解は正信。

何事も体験結構です。

今の人民の、迷信と思ふものの中に、正信あります。

また、正信と思ふものの中に迷信多いです。

理解は正信、とあります。永劫の愛です。

Ⅱ.神の気通うたら、その気を人間にうつす御役、救ひの御役を結構につとめあげて呉れよ、とあります。

神の気通うたら、その気を人間にうつす御役、救ひの御役を結構につとめあげて呉れよ。

マンデラ・エフェクト文面です。

神の気通うたら、その気を人間にうつす御役、救ひの御役を結構につとめあげて呉れよ、として下さい。

人間にうつす御役、救ひの御役、結構につとめあげて呉れよ、の段階となりました。

Ⅲ.自分の自由にならんことは、大き自分が自由にしてゐるのです。

自分の自由にならんことは大き自分が自由にしてゐるのであるぞ。

マンデラ・エフェクト文面です。

自分の自由にならんことは、大き自分が自由にしてゐるのです。
永劫の観点から、これは判って来ます。

判らないのは、神示読んでおらず、素直に行じ、省み、我の改心が進んでいない為です。

Ⅳ.神となれば、神人となれば、何事も心のままです。神とは神、大神とは一十(カミヒト)のことです。

神となれば、神人となれば何事も心のまま。神とは神、大神とは一十(カミヒト)のこと。

神となりましたら、神人となれば、何事も心のままです。

この後、が、マンデラ・エフェクト文面です。

神とは神、大神とは一十(カミヒト)のこと。

大神とは一十(カミヒト)のこと、は初めての文面です。

4.まとめ

気づいたことから早う改めて下されよ、として下さい。
トコトン迄行って、神がさすのでは、人間の面目ないので、人間同士でよく致して下されよ、とあります。

只有難いだけではならん、ようになっています。
仕事、努力せねばならんようになっています。ぢっとしてゐては進めん道理です。

あかりつけなければ闇のよは歩けません。それぞれのあかりとなりて下さい。
油は神示、つきません。いくらでもあかりつけて下されよ、として下さい。

マツリから出直しです。結構に大きなまつり、小さいまつり、まつろひて下さよ、として下さい。

理屈で進んで行きますと、しまひには共喰から、われとわれを喰ふことになります。
神様を真剣に求めれば、神様は人間様を真剣に導いて下さります。結構に導いて下さります。

悪を意志して善を理解することは許されません。
前の段階に留まるを意志している段階で、新たな段階に進む善を理解することは、許されないのです。

悪を意志して、善を理解せんとするのが悪です。
囚われを意志して、囚われない世界を理解しない事、また、囚われ無くす理解をしないのが悪です。

善を意志して、悪を理解せんとするのも悪です。
新たな段階を意志しているにも関わらず、前の段階を理解しないのは、分け隔てとなるのです。

悪を意志して、悪を理解する処に、善としての悪のハタラキ生れます。
悪、前の段階を意志し、前の段階の世界を理解するところに、新たな世界生み出す善としての、悪の用(はたらき)が生れるのです。

幽界も、また神のしろしめす一面のことです。

何事も体験は結構です。迷信と思ふものの中に正信あり、正信と思ふものの中に迷信多いです。
理解は正信です。

神の気通うたら、その気を人間にうつす御役、救ひの御役を結構につとめあげて呉れよ、とあります。

自分の自由にならんことは、大き自分が自由にしてゐるのです。

神となれば、神人となれば、何事も心のままです。神とは神、大神とは一十(カミヒト)のことです。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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