あなはち、しきまきや、くにつつみについて④ しきまきや、その1 「しき」から判ります

日月神示、道の生み出し方について

今回は、しきまきや、その1です。

しきまきや、とは、
前の段階の御自身と現在の御自身、
前の段階の相手と現在の相手、
を和していく事で新たな世界(八)、神様(八)を生み出す事です。

しきまきや、とは、二二の仕組みそのものでもあり、
田根(タネ)の田、がまた、しきまきや。を現しています。
思念界を変えていく行、そのものでもあります。

前世ヒーリングもこれが基本的な状況ですし、マンデラ・エフェクトも此の事が基本的な状況です。

しきまきや、とは、
(四一、四二、九二、四二、二五)と書けますが、
しき、の、中でもくにつつみ、がやはり必要なものとなっており、九を無くしていく事が求められます。

今回は、しきまきや、についてお伝えします。

1.しきまきや、は、「しき」の文面である程度判ります

しきまきや、は、一つの文面にしか登場しませんが、「しき」、に関する文面である程度、判ってきます。

Ⅰ.ひふみ祝詞にも入っている、「しき」、の意味について

しき、とは、(四、キ)であり、ひふみですと(四一、四二)となります。

ひふみ祝詞でも、

しきる、
ゆゐつわぬ、
そをたはくめか、

しき流、しきまきやを起こす流れによって、
ゆゐつわぬ、闇から五三体の大神様と和し、生み出し、
そをたはくめか、それが、五三体の大神様、を多々、九の動き、から、無限に生み出し続けていく事。
を意味しています。

しき、とは、しきまきや、ひふみ祝詞の中盤を意味しているところもあります。

Ⅱ.しき、に関する単語を、訳してみる

新しき(九四、六三、三六、四一、四二)
楽しき(六三、九一、四一、四二)
苦しき(六五、四三、四一、四二)
烈しき(六四、裏九九、四一、四二)
厳しき(四二、裏一一、四一、四二)
正しき(六三、裏六三、四一、四二)
うれしき(七一、九八、四一、四二)

等ありますが、その文面からも、しきまきや、の事が判ってきます。

新しき、だけでも、「しき」全部で156ある内、75個あります。
新しきに関する文面では、実際に、此の後の世についてお伝えしてものが多いです。
それは、しきまきや、から始まる、という事です。

あなはち、しきまきや、くにつつみ、前世ヒーリング、マンデラ・エフェクト、五三体の大神様、二二の仕組み、きびしき、うれしき、烈しき、苦しき、神身魂、新しき、那勢命(なせのみこと)、ろしあの悪神、神一厘、とするには、やはり、九のしきまきや、が必要で、苦を苦で無くしていく行が求められるようです。そこから、無の三が道、三が道から無が生み出される、この事を繰り返して行きます。
それが、新しき、です。

楽しき(六三、九一、四一、四二)は、まず、無の三が道が始まり、その後、苦が始まります。新しき、を逆算したような内容ですね。ですから、新しき、楽しき、は似ているのですが、ですが、そこには、九の行が必ず伴うという事です。苦があるから、楽を実感できる所があるのです。

苦しき(六五、四三、四一、四二)は、無の動きでも、囚われ(四角四面状態)の三次元世界によって、囚われ(四)が始まり、次も囚われ、このよう平面的状況、が、苦しき、です。

烈しき(六四、裏九九、四一、四二)は、無のしきまきや、九の二二の仕組みを裏から、それも、全ての九の二二の仕組みを進めていく事で、烈しくなります。

きびしき(四二、裏一一、四一、四二)、は、四の二二をどうするかですね。
囚われ(四角四面)の二二にしても、思念界からかえていくしきまきや、にしても、
裏の永劫の過去をそのままにするのか、しきまきや、を起こして行くのか。
いずれも、きびしき、の道になります。

正しき(六三、裏六三、四一、四二)、とは、無の三が道、裏の無の三が道、和して、しきまきや、二二の仕組みを起こして行く事にあります。

うれしき(七一、九八、四一、四二)、は、もう一段上の無(七)を始める事により、九の神を産み出す、しきまきや、を始める仕組、と言えます。うれしき、も、九と関係します。

このように、しき、に関係する単語からも、ある程度、しきまきや、は判ってくると思います。

2.しきまきや、「しき」に関する文面について

「しき」、に関する文面から、しきまきや、を理解していきたいと思います。

Ⅰ.きびしき行(みち)が、楽な道です

この道はきびしき行(みち)ざから楽な道なのぞ。

行を、みち、と読むマンデラ・エフェクトが起こっていますね。
みち、とは、行を進めていく事なのです。

此の道は、最初は厳しいと感じるかもしれませんが、その、みち(行)を進むから、楽に進みます。
終始、楽だけで進む道は、我の道であり、最終的に、最も苦しむ道である事。
行き着く先が81の世界である事を忘れてはなりません。

きびしき(四二、裏一一、四一、四二)は永劫の過去から、しきまきや、二二の仕組みから始まります。

Ⅱ.コトによりて伝へるのが、神様のうれしき、です。文字は通基(つき)です

コトが大切ぞコトによりて伝へるのが神はうれしきぞ、文字は通基(つき)ぞ、このことよく心得よ。

コトが大切です。
九十、が大切でもありますが、
言葉、大切でもあります。
勿論、最終的な五十も大切です。

コトによりて伝へるのが神はうれしき(ウ、〇、四、キ)(七一、九八、四一、四二)とお伝えされています。

まず、言葉で伝へて、新たな世界をしきまきや、から、産み出して下さい。
この事で、もう一段上の無、を、九の八へとして下さい。
八は、神様ですし、無限ですが、できる所から現わして行くように、コトより伝へて下さい。

文字は、次になるようです。ですが、文字は、基に通じます。

どちらも大切ですが、人に応じて、順が変わるようです。

(九)のこと(九十)よく(四九)こころ得て下さい。

Ⅲ.此(九)の神様の御神示は烈しきですので、早う、身魂みがいてください

おそし早しはあるぞ、この神様の御神示は烈しきぞ、早う身魂みがかねば御かかりおそいのざぞ、

おそし早しはあるのですが、此(九)の神様の御神示は烈しき(六四、裏九九、四一、四二)です。

裏の九の二二の仕組み、とことんまでの九の理解、生み出す事が、無から、しきまきや、から求められます。
それが、はげしき、です。

ですから、早う(八四ウ)身魂、みがかねば、御かかりが遅い事になり、苦しむ事となります。

Ⅳ.苦しきは、あれど(あ〇土)から、磨きて呉れよ、神身魂、から次の世弥栄となります

今一苦労二苦労、とことん苦しき事あれど、堪へ忍びてぞ次の世の、まこと神代の礎と、磨きて呉れよ神身魂、いやさかつきに栄えなむ。みたまさちはへましまさむ。

今一苦労、二苦労、とことん苦しき(六五、四三、四一、四二)事あれど、
ですが、あれど(あ〇土)としていきますと、楽に進みます。

堪へ忍びて次の世となりますが、最初程しんどいので、早い内の改心、行を進めていく事が求められます。

その先に次の世の、まこと(〇九十)の神代の礎、となります。

また、新たな単語と見てゐますが、神身魂(かみみたま)を磨きて呉れよ(九〇四)として下さい。
神身魂(かみみたま)となっている人もいるのでしょう。ですから、呼びかけになってきています。

いやさかつき(二)に栄えなむ。みたまさちはへましまさむ。となります。
次々に、次の世へと進めて下さい。みたまがさちはへ、まさしめむ、となります。

Ⅴ.新しき道とは、悉く(九十、五十九)なる世、神諸々四方(よも)にひらく流れです

新しき道、ことごとなる世、神諸々(もろもろ)四方(よも)にひらく、なる世の道、ことごとくの道、みいづぞ。

新しき(九四、六三、三六、四一、四二)道、ことごと(九十五十)なる世、とは、
九のしきまきや、から、無の三が道を起こす、しきまきやを起こして行く、九十(コト)達が、五十人によってなる世。です。

神諸々(もろもろ)四方(よも)にひらき、なる世の道、ことごとく(九十、五十九)のみち、身に出づるようなります。

ことごとく、とは、コト達が、五十九のイシ身魂によって、神世にする流れを意味しているところもありそうです。

Ⅵ.苦しき御用が喜んでできる様になりましたら、神の仕組判りかけるようになります

苦しき御用が喜んで出来る様になりたら、神の仕組判りかけるぞ。何事も喜んで致して呉れと申してあろがな。

苦しき(六五、四三、四一、四二)御用が喜んでできる様になりたら、神の仕組判りかけてるようになります。

無の動きが、四(囚われ)から三次元に留まる段階では苦しみます。
ですが、しきまきや(四)、から、三が道を生み出すようになれればよいのですが、それは、九流しき御用が喜んでできる様になってから、です。

ですが、無理な九、いらん苦、平面の苦は、極力避けていく事が大切です。

それは、何事(七二五十)も、もう一段上の二二の仕組みから、コトを産み出すように、喜んで、致してくれ(九〇)と申されています。

Ⅶ.時廻り、来る時は、うつくしき吾が那勢命(なせのみこと)によりて、磐戸、あけるようです

その石なかにして合ひ向ひ立たして つつしみ申し給ひつらく、うつくしき吾が那勢命(なせのみこと)、時廻り来る時あれば、この千引の磐戸、共にあけなんと宣り給へり、

うつくしき(七一、五三、六五、四一、四二)わが那勢命(なせのみこと)も初登場マンデラ、と見てゐます。

時廻り来る時、とは、一日が百日、一年、百年、となる時に現れるのでしょうか。

その石なかにして合ひ向ひ立たして つつしみ申し給ひつらく、というのも、
個々それぞれ、状況は違っていそうです。

石(一四)中にして、合ひ(愛)向かひ立たして、ですから、二人の可能性もあれば、中央の石を中心に、多くの方々が向かう可能性もありそうです。

此の千引の磐戸は、時廻り来る時に、共にあけることとなりそうです。

Ⅷ.ろしあの悪神の御活動、激しき御活動は、地獄の三段目の表を示唆しています

ろしあの悪神の御活動と申すものは神々様にもこれは到底かなはんと思ふ様に激しき御力ぞ。

ろしあの悪神の御活動は、神々様にもこれは到底かなはん、と思ふ様に激しき(六四、裏九九、四一、四二)御力です。

ろしあの悪神様の御活動とは、地獄の三段目を示唆しています。(詳細は、地獄の三段目、で検索して下さい)
その表が天界への鍵なので、重要な部分ですが、それは、裏の九の二二まで、あらゆる苦を理解し、思念界を変え続けていく事。が求められる事となります。

Ⅸ.うれしキ、かなしキ、理解に応じて、意味は真逆になります

うれしキは うれしキことうむぞ、かなしキは かなしキことうむぞ、

うれしき(七一、九八、四一、四二)
嬉しきとは、もう一段上の無から、九の神様をしきまきや、二二の仕組みから生み出す事です。

ですが、ウ〇しき、という解釈でも、〇が、×0ですと、嬉しきは、平面の我欲のうれしき、となり、有限となり苦しむことになります。

かなしキ(六七、二四、四一、四二)は、
六が、無からではなく、三次元的平面愛(六)、に徹して(七)しまうと、悲しいキ、となっていきます。
この状況の六七は、愛の喪失となり、有限の愛で苦しみます。

ですが、六を無、七、をもう一段上の無、としていけば、かなしキ、は、かなしいものではなく、喜びとしていく事ができます。また、かな、を用いたしきまきや、から、こと(九十)を生む、コトとなります。

ですから、うれしき、かなしき、でも、普段の御自身の生き方、捉え方、が、六、七、に向けての現れで、この文面の意味も大きく変わります。

Ⅹ.コトちがふと、ちがふコトとなり、コト(九十)(言葉)正しくすれば、正しきコトとなります

コトちがふから、精神ちがふから、ちがふことになるのざぞ、コト正しくすれば、正しきこととなるのざぞ。

コトの捉え方、精神、がちがふこととなりますと、違う九十、となります。

コト正しくすれば、言葉正しくすれば、正しき(六三、裏六三、四一、四二)コトとなります。
六、三、の裏表から、しきまきや、を続けていく事で、正されたコト、となっていきます。

ⅩⅠ.勇むこと この方 嬉しき事となります

いくらつとめても、これでよいと云ふことはないのざぞ。神の一厘のしぐみわかりたら世界一列一平になるぞ。ますかけひいて、世界の臣民、人民 勇みに勇むぞ。勇む事 此の方 嬉しきぞ。

いくらつとめても、これでよい、と云ふことはありません。

神一厘のしぐみわかりたら、世界一列一平になります。
それは、永劫に、新たな世界を生み出し続けていく事にあります。

そういえば、今現在の世界はそのような状況になってきているかと思います。
それは、此の道進んでゐる人から、その状況になっています。
なっていないとすれば、改心がまだまだ、です。

ますかけひいて、世界の臣民、人民 勇みに勇むようになります。

中々、考えにくい世界ですが、ですが、この事を実現していく段階がやがて来るようです。
勇む(意三無)事 此の方 嬉しき、事となります。

3.まとめ

しきまきや、とは、前の段階の御自身と現在の御自身、前の段階の相手と現在の相手、を和していく事で新たな世界(八)、神様(八)を生み出す事です。

それは、「しき」、の文面で判ってきます。
全て、しきまきや、を始めていく事から始まります。

前世ヒーリングもこの型となりますし、マンデラ・エフェクトもここから始まります。
また、しきまきや、を起こして行くには、九の行を伴う事になっていきます。

きびしき行(みち)が、楽の道です。
九の理解がなく、楽を最初から求めては、むしろ厳しい道へと進むことになります。

コトによりて伝へるのが、神様のうれしき、です。
言葉、ことたま、九十、によりて、伝へて下さい。
文字は二(つき)です。

此(九)の神様の御神示は烈しき(六四、裏九九、四一、四二)ですので、早う、身魂みがいてください。

苦しき(六五、四三、四一、四二)は、あれど(あ〇土)から、磨きて呉れよ(九〇四)、神身魂、
から次の世弥栄となります。神身魂、と呼びかけている時節に入ってきています。

新しき道とは、悉く(九十、五十九)なる世、神諸々四方(よも)にひらく流れ、となります。
ことごとく、とは、五十九の一四ミタマの仕組です。

苦しき御用が喜んでできる様になりましたら、神の仕組判りかけるようになります。

時廻り、来る時は、うつくしき吾が那勢命(なせのみこと)によりて、磐戸、あけるようです。

ろしあの悪神の御活動、激しき御活動は、地獄の三段目の表を示唆しています。

うれしキ、かなしキ、理解に応じて、意味は真逆になります

コトちがふと、ちがふコトとなり、コト(九十)(言葉)正しくすれば、正しきコトとなります

勇むこと この方 嬉しき事となります。
神一厘の仕組が分っていれば、この事が判ってきます。
それは、しきまきや、を起こして行く事です。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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