周囲の世界とは、今の御自身から、見える世界、感じる世界が、常々基軸、です。
周囲の対象は、人によって、見え方、感じ方は違うようになっています。
ですが、今の御自身の見え方、感じ方、が常々基軸、として周囲に現れるようになります。
これは、誰もが同じです。
更に、御自身の心の内に応じて、外の世界は変わっていきます。
洗濯、掃除、改心、と日月神示内では、沢山お伝えされていますが、心の内を変えていく事で外の世界も変わっていく為です。
今回は、日月神示内で、この御自身の内の世界が基軸である事。
また、その御自身の内が変わる事で外の世界が変わる事。
そして、心の内の仕組について。
これらを、伝えている文面をお伝えします。
1.外と内の関係性につきまして
Ⅰ.外と内の世界を、全て現した文面について
●全大宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられているのである。故に、宇宙そのものが、神と同じ性をもち、同じ質をもち、神そのものの現われの一部である。過去も、現在も、未来も一切が呼吸する現在の中に存在し、生前も死後の世界もまた神の中にあり、地上人としては地上人の中に、霊界人にありては霊界人の中に存在し、呼吸し、生長している。故に、その全体は常に雑多なるものの集合によって成っている。
地震の巻にあります、最初の一つ目の文面がその全てです。
全大宇宙は、神の外になく、神の中に、神に抱かれて育てられています。
ここにおけます神、とは、御自身も含みます。ですから、
御自身の中に、全大宇宙があるとも言えます。
宇宙そのものは、神様と同じ性を持ち、同じ質を持ち、神様そのもの現れ、でもあるのです。
ですから、周囲の世界とは、御自身の内の現れなのです。
過去も、現在も、未来も、一切が、呼吸する御自身の現在の中に存在しています。
生前も死後の世界も、また、現在の御自身の内にあり、地上人としては地上人の中に、霊界人にありては、霊界人の中に存在し、呼吸し、生長しています。
故にその全体は、常に雑多なるものの集合によって成り立っています。
Ⅱ.外にあるものは、内にあります
●外にあるもの内にあるぞ
短い文面ですが、先述した内容をまとめたものとも言えます。
外の世界にあるものは、必ず内にあるのです。
Ⅲ.神拝むは、内の生活することで、内外共でなくてはならないようになってゐます
●神拝むとは、頭ばかり下げることでないぞ。内の生活することぞ。内外共でなくてはならん。残る一厘は悪の中に隠してあるぞ。
神様拝むとは、礼拝だけでなく、心の内の神様(・)の生活をしていく事にあります。
内の世界と、外の世界共にでなくてはならないようになっています。
この内外の一致を進めていくには、心・口・行の一致が求められ、この一致によって神のハタラキが現れるようになっています。
残る一厘は、悪の中に隠してあるのですが、心の内に常々あります。
前の段階が、悪となっていく為、という事もあります。
そして、悪と思ったなら、その悪を変えて行こう、という事を、心・口・行、一致させれば(特に行動に移せば)、外の世界は変わっていく事になります。
それは、常々、心の内から始まります。
内から変わる事で、その上で心・口・行、一致させる事で、外の世界が変わっていきます。
Ⅳ.外が悪くて、中がよい、ことはありません。外も中も同じ性を持っています
●外が悪くて中がよいといふことないのぢゃ。外も中も同じ性もってゐるのぢゃ。
外が悪くて中がよいといふことありません。
外も中も同じ性を持ってゐるのです。
ですから、原因は必ず御自身の内にあるのです。
そして、内を変えていこうとしますと、外の世界が変わっていく事になります。
Ⅴ.外はウソが多く、内の声、ウソありません
●外はウソが多いぞ。内の声ウソないぞ。
外はウソが多いです。
マンデラ・エフェクトが起こっていくのが普通となってきますと、この事もよく分ってきます。
(マンデラ・エフェクトも、広い意味ではウソ、とも言えます)
ウソ(生、五三)は、御三体の大神様から産み出すから、という事もあります。
一方、内の声は、ウソがありません。
内の声が、偽なら偽。真なら、真。という意味でも嘘ありませんし、
内の声が、真心、となりましたら、外の世界にも、真の心の世界が現れるようになります。
ただ、内は、ウソがあるかもしれません。
(生、五三)は御三体の大神様から産み出すものはあるでしょう。
Ⅵ.内にあるもの変えれば、外からうつるもの、響いてくるもの変わってきます
●内にあるもの変へれば外からうつるもの、響いて来るもの変って来るぞ。内が外へ、外が内へ響くのぢゃ。
内にあるもの変えて行きますと、外からうつるもの、響いて来るもの変わってきます。
内が外へ、外が内へと響くのです。
例えば、御自身の生前、の事が判り、その生前に向けての思いが変わりますと、外からうつるもの、響いてくるもの変わってきます。
これが、前世ヒーリングの基本的な形でもあり、マンデラ・エフェクトの基本的な形でもあるのです。
マンデラ・エフェクトとは、このように心の内を変えていく連続、から、弥栄を永劫に産み出していく事にあります。
ですが、人の我、基軸ですと、逆行してしまいやすくなります。囚われ、我良し、慢心、の方向に進みやすいのです。
Ⅶ.外国の方が早う改心します、あらゆる世界で当てはまります
●外国の方が早う改心するぞ、外(幽)国人とは逆の世界の人民のことであるぞ。
外国の方が早う改心するぞ、とありますが、これは、御自身の心の内にある、外国魂の改心も含みます。
そして、逆の世界の人民から、外国の方が早う改心する傾向があります。
実際、今の世も、外国の方が先に改心するマンデラ・エフェクトが目立っています。
Ⅷ.内にあるものを浄化すれば、外から近づくものが変わってきます
●何も六ヶ敷いこと申すのではない。自分の、内の自分を洗濯して明らかに磨けばよいのぢゃ。内にあるものを浄化すれば、外から近づくものがかわって来る道理。内の自分を洗濯せずにゐて、きたないものが近づくとか、世の中がくらいとか不平申して御座るなれど、そこにそなたの間違いがあるぞ。
自分の、内の自分を洗濯して、明らかに磨けば、外の世界がどんどん変わり、心・口・行、一致していれば、着実に、周囲の世界はより良くなっていきます。
このように、内にあるものを浄化していきますと、外から近づくものがかわってきます。
前世ヒーリングをしてきますと、この変化は、非常に判りやすいです。
心の内から、変わっていき、そして、その結果外の世界が変わって来る、この体験は次々していく事となります。
ですが、幾ら前世を浄化しても、普段の行動で、心・口・行、一致していませんと、前の段階に戻されてしまう事もよくあります。それが、人の我であり、恐い一面があります。
内の自分を洗濯せずにゐるかどうか、結局は、今の御自身次第なのです。
不平を申してゐるとすれば、その不平を言います心の内に原因があります。
2.心の内の仕組について
Ⅰ.心の中には、又心があり、又中に心があります。心は神界です
●自分で自分の心の中は中々につかめんものであらうがな。その中に又心あり、又中に心があるのぢゃ。心は神界ぞ。
自分で自分の心の中は中々につかめないもの、というのは、前世ヒーリングを通しても判ってきます。
何故なら、生み出した世界の先にその原因が現れたりするからです。
原因は判っても、原因の原因は、中々判りません。
●原因の原因は中々見当とれん。
そして、中心に行く程に、又心(九九六)があり、又心(こころ)があります。
ですから、心の内への理解を次から次へと進めていく事が求められます。
●今の世は逆様ぢゃ。先祖から正せよ。原因から正して行かなならんぞ。
今の世は逆様です。
外へ外へと向かっているのです。結果に囚われている世だからです。
ですから、原因に向かって進めていく事が大切です。
御先祖様から正して下さい。
御先祖様とは、御自身です。
原因から正していかない事には、ならないようになっています。
その為には、生前から理解していき、浄化していくのが一番早いです。
このように、心の内は、神界(四んカイ)です。
Ⅱ.中になる程、無の無となっていきます
●中は無、外は有であるぞ。中になる程 無の無となるのぢゃ。
中は無、外は、有です。
中になる程、無の無となっていきます。
此の事は、中々、描きにくかもしれませんが、中になる程に無になっていきます。
3.まとめ
御自身の中に全宇宙があり、外にあるものは、内にあります。
神拝むは、内の生活をしていく事にあり、内外共にでなくてはならないようになっています。
外も、中も同じ性を持っていますので、内を変えていきますと、外が変わっていきます。ですから、内にあるもの変えれば、外からうつるもの、響くものが変わってきます。
また、内を浄化すれば、外から近づくものが変わってきます。
前世ヒーリングでよく起こる現象です。
外は、ウソが多く、内の声にはウソがありません。
心の内は、又心があり、又中に心があり、無限に続きます。
ですから、神界と云えます。
そして、中になる程、無の無になっていきます。